光市事件における被告人がだした「手紙」について
以下「2006 年報・死刑廃止 光市事件裁判」における安田弁護士談話より引用。
控訴審でも、ともかく死刑にしなければならないというので検察がやったのが彼の例の手紙です。ひどい内容の手紙であることは確かです。しかし、それは隣の房にいた子供が、
小説家になりたいという希望を持っていて、彼からすれば、死刑を求刑されるような事件をやった被告人は関心の的であったわけです。
文通の相手は被告人を偽悪的にもてはやします。
そしてそのもてはやし、挑発といってもいいのですが、それにのせられて書いたのが例の手紙であったわけです。
しかし、そういう個人的な手紙のやり取りが、そっくりそのまま検察の手に渡って、検察が証拠請求してきたんです。(検察官の主張内容のため中略)
私からすると、どうしてあの手紙が検察官の手に入ったか、というだけではなく、どうしてあんな手紙を発信することが出来たのか、ということが不思議でならないわけです。普通、手紙というのは拘置所の職員が全部検閲しますから。 彼らは非常に教育者的な気概を持っているというか、そういう役割を自負していますから、ヘンなものはチェックして、口を挟んでくるんです。 ときには郵送を禁止したり、ここを削除しろ、書き直せと平気で干渉してくる。普通だったらあんな手紙を出せるはずがないんです。
被告人に対して、「何を書いているんだ」と、しかるのが当たり前なわけです。
ところが、それが一切ないまま手紙が通って、今度は堂々と法廷に証拠として出てきて、これほどひどい奴だという証拠になってくる。 信書そのものが犯罪を構成しているわけでもはないのに、刑事事件の証拠として採用されてしまうんですね。 通信の秘密、通信の自由はどうなっているんでしょうね。