「殺人者と被害者の遺族は和解できるか」(2)

(1)より続く。

事件から1年半後、ようやく事故のショックが遠のいてきた頃、警察から予想外の連絡があった。84年5月2日、家族からの知らせにあわてて帰宅した橋本さんを待ち受けていた刑事は3枚の顔写真を差し出した。1枚目2枚目とも見たことがない顔だった。ところが3枚目には亡弟の勤めていた運送店の社長の顔があった。

「その弟さんのなくなった事故ですが、交通事故を装った保険金目当ての殺人事件の疑いが濃厚です。この三人が共謀したと見られ主犯はこの岡田。三人とも今日の夜にも逮捕されるでしょう」
あのときの気持ちをどう表現すればいいのか……それこそ体じゅうの血が逆流するようなショックでした。頭の中が真っ白になって何も考えられない。まさかうちの弟がそんな事件に巻き込まれるなんて……。
「そんな刑事さん、なにかのまちがいでしょう」
そういいたいのに声がでないんです。

だがその後、刑事の話どおりに岡田幸彦(仮名当時33歳)、塗装工、スナック経営者の3名が愛知県警に逮捕される。

岡田君(事件発覚当初はもちろん呼び捨てにしていましたが、いつとはなしに“君づけ”で呼ぶようになりました。時間の経過とともに、相手も同じ人間なのだと思えるようになったからでしょうか)に初めて会ったのは弟の通夜の席ですね。紹介されて挨拶しただけで、そのときはとくに印象はなかったんですが、葬式のときに「あれっ」と思ったんです。
岡田の名で出す花輪の代金を立て替えてくれと言うんですよ、「いま持ち合わせがないから」と言って。それでその場はこちらが払ったんですが、後になっても金を返す気配がない。

この出来事を皮切りに、橋本さんは岡田に金をせびられるようになっていく。生前和夫さんが会社に借金をしていたから、などの理由をつけて結局200万円ほど「とられる」羽目になった。事故現場まで二度三度案内を買って出るほど「親切」なこともしたが、ガソリン代などの「必要経費」は一切払うことがなかった。
そして岡田が殺害したのは和夫さんだけではなかった。