沖縄集団自決強制はなかったと信じたいあびるん

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/426052/

あびるんが沖縄取材の模様をアップしてます。
本日は「沖縄公文書に見る渡嘉敷島集団自決の実相」と題して、“琉球政府沖縄県教育委員会が編集・発行した「沖縄県史」第10巻”より「元渡嘉敷郵便局長、徳平秀雄氏の手記」の一部引用と内容の要約、“沖縄県警察本部が発行した「沖縄県警察史」第2巻”より「渡嘉敷駐在所勤務だった安里喜順巡査の手記」の一部引用と内容の要約の紹介。それにあびるんのコメントが付くというエントリーでございます。

つーか沖縄まで取材に行って成果がまさかこれじゃないですよね?本については沖縄に行かなくても手に入るものだし、それを引用してちょいちょいと特集記事を作るなんてことはないでしょうな。少なくても関係者には話しを聞くぐらいのことはしないと経費無駄遣いといわれても仕方ないと一応書き添えておく。

で、これを踏まえての阿比留記者の結論は、といえば

 …こちらにも、村の主だった人たちが集まって自決を決めたくだりがあります。もちろん、軍命令があろうとなかろうと集団自決の悲惨さに変わりはありませんし、こういうことが二度とあってはならないと思います。でも、どうして沖縄県の公文書にもはっきりとこう書いているのに、教科書に限って軍命令・強制だと強調しなければならないのか私には理解できません。

というものである。もしやこの渡嘉敷島座間味島の強制自決がなかったよ、となれば沖縄全土における集団自決強制がなかったことになる、なんてお花畑なことを考えているわけじゃないだろうな。第32軍の方針がありながらも(たとえこの二つの事例が原告どおりの主張であったとしたら)軍命令を個々の兵士の良心で回避したという風にも取れるんだが、それはどうなんでしょうか。つーか「当時の空気」をマッタク考慮に入れず、「公文書で指令が残っていないから」と(空気を証言する声が数多く寄せられているにもかかわらずそれを「沖縄の教育が特殊だから」とわけのわからん主張で)切り捨てるこの姿勢は記者としてどうなのかと思いますがね。あらかじめ欲しい事実だけを抜書きして書けばよいってそれなんてプロパガンダ

渡嘉敷島の赤松隊なんて、確かに集団自決を強制していないかもしれないが、投降を呼びかけた県民を殺害したという話もあったりして、そっちの方が酷いんじゃないかと思ったり。また、座間味の梅澤氏も街宣車だしたりするなど、「真実」を話したくても話したくない状況に持ち込むのもどうかとは思う。それだけ当人にとっては切実な問題だったこともよくわかるだけに、この問題は「欲しい事実だけを抜書きして」語れる問題ではないのにな。戦後レジームに囚われ拘泥しているのは他でもない阿比留記者じゃないのかね。