阿比留記者の「幸福都合装置」は今日も快調に発動中

都内は一昨日雪でございました。降りしきる雪の中自転車で通勤する羽目になったワタクシといたしましては心身ともに冷え切って何のやる気もうせるわけです。ところが!われらが電波ネットアイドルこと産経新聞阿比留記者は雪にも夏の暑さにも負けない丈夫な肉体を駆使して(メタボ気味だけど。運動しろよ!)今日も高出力でデムパ発信中ビビビ。それにしても驚いたな本日のエントリーは。なんていうか、阿比留ンの頭の中にある「幸福都合装置」とでもいうしかないものについて今回は該当エントリーを引用しつつ考えてみたい。(まあ考えるっつてもネタにするだけだけど)

国家基本問題研究所の初の記者会見雑感
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/457610

 昨日は、昨年12月26日のエントリ「来年に向けた一つの希望の光、国家基本問題研究所」で紹介した保守系シンクタンク、国家基本問題研究所(桜井よしこ理事長)が日本外国特派員協会で初の記者会見を開いたので、私も行ってきました。会見では、米国による北朝鮮テロ支援国家指定解除に反対する緊急提言が出されたのですが、それについては今朝の産経3面に記事が載っているので省きます。イザニュースでもアップされているので、興味のある方はご参照ください。

 写真は、会見に臨む桜井氏です。笑みを絶やさず、それでいて鋭く、気迫のこもった言葉を発していました。いつもながらさすがたなあ、と感心します。外国人特派員らの少し意地悪で斜に構えたような質問に対しても、実例を引きながら、相手が理解しやすいようにうまく答えていました。ふつうの人には、なかなかできることではないと思います。写真をもう一枚掲載します。

 左から副理事長の田久保忠衛氏、企画委員で福井県立教授の島田洋一氏、桜井氏、拉致被害者家族会の増元照明事務局長に司会の男性です。増元氏はゲストスピーカーという位置づけでしょうか。

 この会見に関する記事は、紙面スペースの都合で、都心などに配布される「後版」から私が重要だと思う記事の末尾部分が削られてしまったので、その部分をここに再掲しておこうと思います。以下がそれです。

 《会見で企画委員の島田洋一福井県立大教授は、昨年11月に拉致被害者家族らと訪米した際、米政府元高官から「ライス国務長官ヒル国務次官補はブッシュ大統領に『安倍晋三前首相は拉致問題にこだわりが強いが、福田康夫首相はそうではない。指定解除しても(日米関係が)シリアスになることはない』とアドバイスしていた」と聞いたエピソードを明かした。》

 北朝鮮が予想通り、昨年末までに行うと約束した核計画の申告を履行しなかったため、テロ支援国家指定解除はいま、若干遠のいた感がありますが、ライス氏やヒル氏がこういう状況では、決して油断はできませんね。米国も福田氏をはじめとする日本政府の姿勢、反応を観察していますね。記者会見後、私は島田教授にこの「米政府元高官」はだれであるか名前を聞いたのですが、先方が「名前は出してくれるな」という条件の下に話したことだそうで、残念ながら私も書けません。

 あと、フリージャーナリストの日本人男性との質疑応答が、個人的に興味深かったので、ちょっと紹介したいと思います。やりとりを聞きながら、言論に携わる覚悟が果たしてあるだろうかと考えさせられたのもので。でも、壇上の「歴戦の勇士たち」には、軟弱に聞こえる質問だったのかもしれません。

 男性 小泉訪朝は日本の空気を大きく変えた。国の安全保障だとか、国家とは何かという意識が高まったし、それはよかったと思う。ただ、一方で、北朝鮮に融和的なことを言うと「反日」というレッテルを張られるリスクも出てきた。私の知人にも萎縮して本心が言えないという人がいる。偏狭なナショナリズムではないか?

 田久保氏 日本はどんな言論も自由であり、問題はそこに節度があるかどうかだ。「反日」と言うのは節度を超えていると思う。ただ、私は評論家活動を始めた初めから「右翼」と言われてきたが、自分では「右翼」とは思っていないし、肩身が狭い思いもしたことがない。

 西岡力企画委員 小泉訪朝前に、拉致問題について書くと身の危険があった。私は脅迫状も脅迫電話ももらった。それは許せない行為だ。しかし、言論活動をしていればレッテルを張られるぐらいは当然だ。それぐらいの覚悟がなければ、言論活動をしなければいい。

 増元氏 私たちのところにもいろいろなことを言ってくる人たちはいる。いろいろな意見を言っていい。それに対する反論もあって、切磋琢磨して言論の質を高めていけばいいのではないか。北朝鮮に行って、当局に対して「日本では本心が言えない」という人もいるようだが、それは本当はそれほどそうは思っていない、ということではないのか。(※増元氏のコメントは、メモがうまくとれていないので文言は正確ではなく、発言の趣旨ということで理解してください。すいません)

 …桜井氏も含め、回答者はみな、あまりにも排他的で簡単にレッテルを張るようなやり方はよくないとしながらも、自分の意見を世に問う際の覚悟を示しているように感じました。私はやりとりを聞きながら、昔はいわゆるリベラルっぽいことを言っていれば、世間からほめられこそすれ批判されることはなかったから、リベラル・左派の人たちは慣れていない人も多いのだろうなあという感想を持ちました。

 私が産経に入社し、地方支局(仙台)で勤務していた17年ほど前には、今以上にマスコミ現場は左派一色でしたから、悪気のあるないは別として、随分とバカにされたりからかわれたりしたものでした。夏の甲子園の地方予選で国歌斉唱がある際、記者で立って歌うのは私一人でしたから指さされて笑われましたし、首相らの靖国神社への参拝や玉串料の県費支出を違法とした岩手靖国訴訟では、靖国参拝に反対する原告側の主張はおかしいと言っていたのは当時の県警記者クラブで私一人でした。

 このときは、地元紙のベテラン記者から「だから君はバカなんだ」などとも面と向かって言われたものでしたが、田久保氏と同じように、こっちは少しも間違っているとは思いませんでしたし、それで自分の考え方を隠そうなどとは露ほども考えませんでした。不愉快な記憶はたくさんありますが…。まあ、いま、時代は政治情勢などで一部逆行しかけている部分もありますが、この10数年、特に小泉訪朝以降、だいぶ変わり、前に進んだのも確かですね。記者会見の場でメモをとりつつ、頭の中ではそんなことを振り返っていました。

 会見の最後に桜井氏は、シンクタンク立ち上げの手応えについて聞かれ、「最初は小さな一歩に過ぎないが、これから10年、15年、20年かけてしっかりした立派な研究所に育て上げたい。最初の一歩としては十分な手応えがあった」として、日本の国益に寄与する存在としてきたいとの豊富を述べていました。国家基本問題研究所は、今回の緊急提言を日米の全国会議員に送付したそうです。日本の将来のたる、研究会の今後の活動が期待されます。

いかにも産経がすきそうなアヤシゲな民間シンクタンクである。(やっぱりというべきか週刊新潮も褒めていた。まああそこにはよし子タソが連載しているからなあ)

で、噴飯モノの箇所はここ。

 …桜井氏も含め、回答者はみな、あまりにも排他的で簡単にレッテルを張るようなやり方はよくないとしながらも、自分の意見を世に問う際の覚悟を示しているように感じました。私はやりとりを聞きながら、昔はいわゆるリベラルっぽいことを言っていれば、世間からほめられこそすれ批判されることはなかったから、リベラル・左派の人たちは慣れていない人も多いのだろうなあという感想を持ちました。

なんすかね?これ。あんたら「赤報隊事件」を忘れたのか?加藤紘一の家に火炎瓶投げ込んだり、新聞社に押し入って記者を殺害したり、立て篭もったり、リベラル・左派のほうがよほど命の危険に晒されているじゃないか。こんなのんきなことをしまりのない顔で得意げに語るなら、一度産経新聞社も狙われてみたほうがいいのでは?とすら言いたくなる。(だが私はどこかの新聞社の記者のように死ねばいいのに系のことは絶対に言わない)そういう都合の悪い話をすぐに忘れ無様なレッテル貼りに勤しむのが産経新聞記者としての仕事なのか?単なる「運動屋」に過ぎないではないか。

そこで「幸福都合装置」について考えてみる。

「幸福都合装置」とは「都合」の作用により、他者には同一の出来事に思えることが本人の「記憶」その他脳内作用により、別々の出来事として捉えられていたり、あるいは別個の出来事がひとつになっていたりというものである。由来は根本敬著「因果鉄道の旅」より。自分に都合よく「しか」物事を理解できない人々の総称に、私はしている。だからまあアレですよ、阿比留記者の視覚にご立派な国家基本問題研究所のかたがたの意見が入ってくる。脳内で認識してすぐに、赤報隊だの火炎瓶事件だのといった「都合の悪い情報」はポイポイと「処置」され、後に残るのは「世間からほめられこそすれ批判されることはなかった」という誤認だけである。でも誤認を訂正する情報は仕入れられることはないので、いつまでも誤認は誤認のままである。