映画「靖国 YASUKUNI」動的な場所で静的なカメラがみつめたものとは

知っている人は知っていると思うが、私は8/15に靖国神社へ行くことを常としている。また、これは余談だが、生れ落ちてから靖国神社へ行かなかった年はおそらく数えるほどだろう。もちろんこれは地理的な意味、単純に近くで生まれ育ったからというが、もちろん大きいけれど。靖国神社のみたままつりは今でも大好きで、毎年行くようにしている。見世物小屋を初めて見たのもここでだった。桜が降るように散る姿をはじめて目の当たりにしたのも、ここだった。英霊とはなんであるかを知ったのは、それから後のことだったけれども。

はじめに断っておくが、私は靖国神社に対しある相反する感情を抱いている。現在の靖国神社の「体制」には納得できない部分が多々ある。だが私がそれでも「そこ」へ何度も足を運んでしまうのは、英霊への哀悼の意、そして素朴な感情を元にお参りに来る人々に対し、あたたかな親近感を感じるからだろう。そしてその人たちを「食いつぶす」かのような、現状の「靖国神社」については、哀しい思いとともに見つめるしかないのだがそれはともかく、とまれ、私にはそういう先入観があるということをご理解の上、読み進んでいただければ幸い。

前置きがかなり長くなった。で、そのアンビバレンツな私が見た「靖国 YASUKUNI」だが、それにしてもこの映画、なんとも感想が言いづらい。例えばこの映画のようにイデオロギー的主観で振りきられていればあーだこーだといいようがあるのだが、「靖国」にはなにかキョーレツな主張があるわけではない。*1そこが同じ文化振興助成基金を得たドキュメンタリーである「蟻の兵隊」のような、ある意味攻撃的なイデオロギーに満ちた映画とは対極をなす、そういう意味では「巧妙に避けた」映画といえるだろう。無味無臭なNHK映画、という言い方もできると思う。もっとも「靖国神社」そのものが茫漠とした存在であり、そこに「インパクト」や「求心力」を見出すよりも、その周辺、つまり集う人々や、境内の様子のほうにひきつけられるものがある。ある方の言葉を借りれば、「結局は、靖国をどう思うかの方に力があるってことかな、と思ったりしてるです。」ということなのかもしれない。たぶんこの映画を見て「感動した!」という人も、「傑作だ」と思う人もあまりいないだろう。*2ドキュメンタリーには「カメラ」がぐいぐいと観客を引っ張っていく「動的」なものと、目の前で起きる出来事をたんたんと写し取っていく静的なものとがあるが、映画「靖国」は間違いなく後者である。記録映像が淡々とつなげられていく場合がほとんどだ。靖国神社の周辺を巡る話という手法を選択した結果、確かに右へも左へも巧妙に目配せをしているような、作品へと一見仕上がっているように思える。実際、試写会後のシンポジウムで高橋哲哉教授が“映画の半分以上を、特に前半なんか右翼しか映していない。ゆえにこれは右翼の宣伝映画ではないか”といっていた。本気でいっているとは思っていないが、マジレスすると、それは間違いだろう。なぜならば、どういう視点で右翼を撮影しているのか、「彼ら」の語る「言語」が「言葉」として認識する前に、画面が切り替わってしまうこと、結局「彼ら」がなにをいいたいのかが断片的にしかわからないところなどからみれば、見ている側にはどういう意図で撮っているのかはわかりすぎるほどだろう。登場時間は長いが意味を成さない集団の中の一人としての捉えかたと、映し出される時間は短くとも、その主張がこちら側に切り込んでくるような人。監督がどちらの視点に立っているのかは明白だ。だが、それを越えてこの作品の根幹をなしているのは、永住権を持つ中国人がみた「靖国」の「フシギさ」だろう。監督はその「フシギさ」を映画の中で追求したり放り投げたりすることはなく、ただただ「フシギさ」を列挙していくだけだ。それを答えを放棄しているととるか、答えは委ねられているととるか、監督の「フシギさ」に寄り添ってみるか。その選択に対しても映画はあくまで受動的な立場を崩さない。(観客自らの「能動性」が要求されるがゆえに黙って流し見れば「それだけの映画」となってしまう)

そういうわけで映画は、靖国神社を正面から描くことはしない。境内で起こる出来事や靖国神社を主体的に語る人々を丹念に、キャプションも極力廃してつないでいく。

冒頭は刀匠のカタというか、はかま姿で腰に刺した刀を抜き、振り下ろす一連の動作を何回か繰り返す姿が映し出される。そして刀匠の刀を作り出す手、それから当時の靖国神社宮司から送られた感謝状(「御祭神などが次々と映し出され、「靖国神社のご神体はひとふりの刀である」(これも後述)「かつて靖国神社境内で8100振りもの靖国刀がつくられた」というキャプションが出て、タイトルロールへとうつる。このあたりの編集はもうちょっと短くても良かったように思える。

刀匠が刀を「打つ」姿にオーバーラップして当時の情景、境内で刀を鍛える様が映し出される。そしてその姿に見とれていると、小泉首相の「こころの問題」記者会見と終戦60周年を迎えた8・15の靖国神社の模様に切り替わる。(10年かけて撮ったそうなので、もしかしたら他の日のカットも混じっているとは思うけれどあえて書く)それは私があの場で見ていたものだ。

靖国神社の場面は朝の開門シーンから始まる。旗を持った右翼が「英霊に哀悼の誠を捧げる」と拝殿に向かって大音声。(最後に「合掌」って叫んでいたので苦笑せざるを得なかった)次々に同じように、あるものは自衛隊の制服を着、あるものは暴走族が着るような特攻服?を着て、あるものは旧日本軍の軍服を着て(ここで例の那須にある戦争博物館の館長オヤジが登場していて嬉しかった。ちゃんと海軍軍服を着ていた)思い思いのスタイルで、「哀悼の誠を」と叫ぶ。

このとき、私がこの映画の中で最も好きなシーンが出てくる。白い、海自の軍服だろうか、当時の旧軍の軍服だろうか、浅学な私にはそのあたりが判断つきかねるのだが、白い軍服を着用した一群が、あの微妙に音程の合わない揃わない進軍ラッパとともに、拝殿へ行進して来る。そして「食事の喇叭は、兵士にとって一番嬉しいものであります。我々は先輩に敬意と哀悼の誠を表し、これを捧げます」といって、正露丸のCMでおなじみの一節が喇叭から流れる。私にはわからない世界があり、その世界律で哀悼の意を捧げる行為に対し、しみじみとした暖かさを感じ、そしてこれは誰にも否定して欲しくないな、とふと思った。

境内の様子、酔っ払ったおっさんが「自衛のための戦争だった」、ベンチに座ったおばさんが「小泉さんが靖国参拝したってねーぇ、別に悪いことだとは思わないの」と話したりする。まあよく見る光景ですな。とここで、アメリカ人男性がアメリカ国旗と「小泉総理の靖国参拝を支持します」という手作りプラカードを掲げて自らの主張を配ったりしてるカットへつながれる。正直、私には違和感しかなかった。ここには連合国と闘って生涯を終えた人々も当然のことながら多数祀られている。それに対して、少々無神経ではないのか。結局のところ彼は追い出されてしまうのだが、当初妙に「ありがとう」などといっている人々がいたのが納得できなかった。

映画は刀を打つ様子、境内の様子、行き来しながら、やがて靖国に対し異議申し立てをする人々に焦点を合わせていく。まず一人目として真宗大谷派遺族代表の僧侶。インタビューの中で彼の父親が招集され戦死し、靖国に祀られたことが語られていく。

「宗教者である人間までもが、人を殺すために戦場へかりだされる異常さ」

「死んでからも国にとられ、遺族の元へは返してもらえないんですよ。戦死者は国のものなんです」

「(亡父への叙勲状などを示しながら)遺族は国に対して怒りをぶつけようとする。ですけれど、国はこうして叙勲をして褒め称える。遺族は怒りの持って行き場がないんですよね。叙勲は戦争責任を問わせないようにしている。すごいシステムだなと思います」

印象的な言葉がいくつか心に残る。確かに神道の概念は理解しているつもりだが、あまりにもシステマチックなものもどうかと思う。確か文芸春秋かなにかの秦郁彦氏と半藤一利氏の対談において「(このように遺族から削除を要求された場合)以前は名前を消して対応していたんですよね」といったことが語られていたように記憶する。このような宗教へ本人ならびに遺族が帰依している場合には、そしてどうしても名前を削除して欲しいと確固たる意思の下強く望むのならば、その希望をかなえてもいいようにも思える。だが以下のような場合は私としても、同情心よりも反発心の方が先にくる。高金素梅氏のケースである。

大谷派僧侶や他の日本人遺族とともに台湾高砂族代表として高金素梅氏も靖国神社へやってくる。神社の担当者がでてきて彼らの話しを聞く。そして回答は後日… と高金素梅氏の話しの途中で社の中へ入っていってしまう。高金素梅氏は怒りを押し殺すように「あなたは呼吸をしてますか?」と中国語で語りかける。問題は彼女の通訳(男性)だ。「アンタは息してるのかって聞いてんだよ!」「こんなクソ神道のクソ神社」等々、明らかに字幕で見る彼女の言葉よりも多く罵倒語を交えて怒鳴りつける。正直、嫌な気持ちが残る。おそらくこのシーンを見て喝采を送る人はそう多くはないように思う。当然製作者側はそういう抗議する側のイデオロギーについても見せたくてこのシーンを選んだのだろう。主要登場人物のうち、二名はこのあとでてくることはない。刀匠はこのあともイントレランスにおけるリリアン・ギッシュのように、過去の靖国と現在の靖国靖国をめぐる人々ををつなぎあわせるような役割で登場し続ける。インタビューシーンでもっとも好ましかったのは、日本刀の切れ味について監督が尋ねるところだ。「切れましたか?」「何人ぐらいまで切れるのですか?」とたどたどしい日本語で迫る監督に対し、「こうね、機関銃まで切ったらしいよ」「とんでくる銃弾をこう(上から手を振り下ろす仕草をしながら)スパッとね」と無邪気に微笑む刀匠。このあたりの丁々発止とまではいかないが、ある種の「攻防」が伺えつつも緊張感ではなく、どこか呑気な雰囲気のまま話が続くのは、お互いの「性格」によるものだろう。そしてここから映像は、百人切り競争を称える当時の新聞、当事者である二人の兵士、アジア系と思しき人間の切断された頭部をもって誇らしげにカメラの前に立つ兵士とその手に輝く日本刀、立会い稽古をする人々の姿、殺される寸前の白人捕虜、斬首寸前のアジア人の姿、そういった短いカットがつなぎ合わされ*3、戦時中の映像、大賑わいの靖国神社、そしてこの後、もう一人の重要な登場人物が画面に現れる。昭和天皇である。

昭和天皇が繰り返し繰り返し靖国神社へご親拝される様子が映し出される。戦時中、戦後のある時期まで、沿道は人で賑わい、ほとんど土下座に近い戦時中の様子と戦後、旗を振って喜び称える人々が対照的に映し出される。人々の喜びとそれにこたえる昭和天皇。つなぎあわされた映像に我々は何を見出すべきなのか、と、そこで突然画面は終戦60周年記念式典の壇上で稲田議員が「公式参拝」を呼びかけるシーンへ変わる。そして続く映画のクライマックスではこんなシーンが待っている。終戦60周年記念慰霊祭の途中、君が代斉唱のところで二人のサヨク?青年が「公式参拝反対!」「戦争反対!」を叫びつつ乱入する光景があったのだが、彼らは君が代が厳粛に歌われるなかを引きずり出され、英霊にこたえる会謹製のTシャツを身につけた青年にヘッドロックされ(というよりは首を締め上げているように見える。周囲もヤバイと思ったのか、「おいおいもういいよやめろよ」と引き剥がしにかかっている)、ふらふらの状態で水色のリュックを背負ったおっさんに「とんでもねえ奴だ」「中国へ帰れよ!中国へー!」と追い立てられ(このおっさんがあまりにも機械的に同じ言葉ばかり繰り返すので思わずサンプリングしてんのか?と思った)、右翼?らしき男達に取り囲まれ、警察が介入して「まーまー」となだめるが、結局小競り合いとなり(個人的には手をだしたのは、右翼?か一般人かわからないが「中国へ帰れ」と彼ら左翼青年を追い詰めている側である)ついには警察がいるにもかかわらず手酷く殴られ顔面血だらけになる。救急車へと誘導されても拒否した彼らは「こんな傷でひるむものか、日本の侵略戦争、戦争責任を訴え続ける」と叫び、結局パトカーに「保護」という名目で収容され連れて行かれる。警察は右翼に殴られても何もしてくれないということよりも、「警察にとってどちらが反体制なのか」ということがよくわかるシーンである。(もしかしたら劇場がビビッたのはこのシーンを見たからかもしれない。そりゃ右翼らしき?方々が劇場に現れて暴れてもこのシーンのように警察が何もしないのなら、誰も頼るものがいないと上映断念したくなるかも)

そして映画は刀匠との会話(刀匠に「休みのときなにを聞いているんですか?」と監督が尋ね、そこで彼が取り出したのが東京オリンピック開会を宣言する昭和天皇のお言葉だった。そのことがなんとも言えず私にはほほえましかった)刀匠が詩吟をする様子、つぎに儀式のために神官がずらずらっと並ぶ美しく荘厳な風景を映し出した後、薄明るい中、閉門するシーンと上空から靖国神社を空撮するシーンで幕引きとなる。人々の記憶の総体としての靖国はようやく(短くて永きに渡る)眠りにつくかのようだ。左右のかみ合わぬイデオロギーが平行線のまま表出する状況の中、円環は閉じられ、長かった靖国の一日が終わる。

このように映画は刀匠が靖国刀を作ったり、監督のインタビューを受けているシーンと、終戦後60年がたちひとつの区切りとして記念式典(慰霊祭)などが催され人であふれる靖国神社の様子または合祀とりさげ訴訟の原告である高金素梅氏や大谷派僧侶代表などのインタビューそして戦時中の百人切り競争に関する新聞記事や日本兵軍刀でアジア人や連合軍捕虜を切り殺すあるいは首を切り落とす写真を短いカットでつないでいくシーンを行きつ戻りつする。どんな映像も一区切りつくと必ず刀匠のシーンへと戻っていく、それが不思議にまとまり、円を描くリズムがあることで妙な安心感が生まれる。刀匠が出てくるシーンは靖国神社境内で起きている出来事の緊張感を緩和するよい緩衝材なのだが、いかんせん、映画館ではない場所での上映にあたっては録音状態があまりよくないと聴取に難が生じる。くわえて高齢である刀匠と日本語をネイティブほどには話せないと思われる監督とのやりとりは、残念ながら多くが聞き取りえないものだった。ただそれでも、両者の間にある信頼感のようなものは汲み取れたが。監督の穏やかでしっとりした話し方に応じる好々爺といった風情が好ましかった。長い間忘れ去られていた伝統職人が、尋ねてきた、自分を理解しようとする人間に対し、無条件で昔話を開陳するようなさまにも思える。だが実際には、監督が「靖国刀を軍人に供給していた当時の話」を求めれば、「どうだったかな」等々のはぐらかしで対応しているのだけれども。

こうしてみると、なにが「彼ら」の逆鱗に触れたのかがよくわからない。考えられるシーンとしては上記にあげた高金素梅氏のシーンと、右翼?らしき人物が乱暴をはたらくシーンだろう。だがこの二つのシーンは対になっており、結局のところどちらにも感情移入しにくいように作られていると思う。極端な右翼も極端な左翼も、画面を通してみれば「集中力」で相対化されてしまう存在である。ただやはり靖国神社への素朴な思い入れをもつ人々の生の声が映画にとりこまれていればもっと立体的な作品に仕上がったように思える。例えば一水会鈴木邦男氏のような方へのインタビューがあればよかったのではないか。戦争への懐古主義的な側面ではなく、宗教的な側面も、当然靖国にはある。映画の中でそこは靖国神社で行われる様々な儀式を通じて垣間見ることが出来るが、いうなれば「信者」の側、誰が公式参拝をしようがどうでもよく、素朴な感情から、ただ兄や弟に会いたくてきている人々も多いのだから、市井の中にある靖国という意味合いが抜けてしまい、多面的な「靖国神社」の存在を伝えるまでにはいたらないのではないか。靖国にはなにもイデオロギーばかりが満ち溢れているわけではない。もっと本来的に靖国神社を支える基礎となり、いまは確実に減っていると思われるそういう人々の「声」をもっと掬い上げるべきではなかったのか。

ひとつ、気になったのは境内で行われたと思しき、はかま姿の方による藁人形を使っての試し切りの模様を写した写真をみながら、監督と刀匠が語らいあうシーンである。刀匠が藁人形を指差しながら「これホリョの代わりね」と聞こえたように思えたのが衝撃的だった。え!?やっぱり…と思わず腰を浮かしたが、監督が「ああホネね」と受け「ホネを芯にして…?」とその意味がわからなかったのか少し突っ込んで尋ねる。うける刀匠は「ああそうそうホネホネ」と笑い二人で幸福な勘違い(とあえていう)をしたまま次の話しへ移ってしまうのが少々残念だった。それにしてもあれは私の聞き間違いだろうか。ホリョとホネ。ホネだとすると、藁人形がホネの代わりって言うのもへんな話し(試し斬りに囚人を使ったという話は知っているが、骨を使うなんてことは聞いたことが無い)なのだが、まあとにかく真相は映画を見た方がご自身で判断してくださいってことですかね。

さて長々と書いてきたが、この「靖国 YASUKUNI」。先にも触れたが「蟻の兵隊」のアグレッシブな闘争本能からは程遠いところにある映画である。できるだけどちらからも距離を置き、ただ靖国神社そのものを見つめたいという意思を私は感じた。しかしなんだな、同じ「時間帯」同じ「場所」で「靖国」と「蟻の兵隊」が撮影されていたことに驚く。(「蟻の兵隊」には確か靖国で行われた終戦60周年慰霊祭の模様とそこで小野田さんに「戦争美化ですか?」と語りかける奥村氏の様子がおさめられていたと思った)ついでに「南京の真実」もそのとき撮影されていたらよかったのに。なんだかそのこと自体が既に「靖国神社」という存在を如実に表現しているような気がした。映画のように「靖国神社」が現実から超然としていたら、なおよかった。

苦痛の中で死を迎えた御霊の慰労と安寧のために設立された神社、靖国。あの日、8月15日、酷暑の中、拝殿へと続く長蛇の列を、日傘を差してじっと耐える老婦人の後ろで「特アがさー文句言うことねえんだよなあ。俺ヤスクニに行くっていったらトモダチにひかれたよー。コミケ帰りによればいいだけじゃん」と大声で話し続ける若い男女を、そして境内に渦巻く喧騒とは全く無関係に幼子を遊ばせる夫婦を、孫と思しき少年の肩に手をかけ、不自由な目をしばたたせながらゆっくりと神門に向かう老翁の姿を、わたしは思いだす。刀匠の謡う詩吟の一節「容易勿汚日本刀」、ならば「靖国神社」を「容易に汚し」ているのは一体、誰だろう。

関連記事
■[産経ヲチ][靖国]上坂冬子の映画「靖国 YASUKUNI」珍解釈には笑った
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20080425/1209086195

*1:だがそう感じない人々もあり、「立場」から観想を言うとこうなるという好例があったので参考までにhttp://movie.maeda-y.com/movie/01102.htm

*2:個人的には佳作レベルの評価しかできない。「入門篇」の感がある「特攻 -Tokkou-」と似た印象である

*3:ちなみにこのシーンには何のキャプションもないのでそれが南京事件のものかそうでないのかは研究している人でもない限りわからないだろう