いっそのこと「死刑執行員制度」をつくればいいのに

5月6日文化放送にて「死刑執行の瞬間」を放送する特別番組がくまれた。

「毎日」文化放送:「死刑の瞬間」放送へ 昭和30年代録音
http://mainichi.jp/select/today/news/20080416k0000m040157000c.html

J-CAST文化放送、「死刑の瞬間」放送へ
http://www.j-cast.com/2008/04/16019074.html

時事通信社」死刑の瞬間を放送=53年前の録音−文化放送
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008050600199

死刑について私は存置派である。一応は。一応は、とつけたのは、冤罪等を考慮すると、簡単に「死刑制度賛成」と諸手を挙げて賛成とはとてもいえないからだ。

人一人殺したのだから即死刑にすればいいのに、という人の話を直接聞いたりネットで見たりするが、そういう人たちにどこか共通すると思われるのは「国の名の下に殺す」死刑制度への参加意識の希薄さである。今回の放送で流された街頭インタビューでも(もちろん編集されそういう発言ばかりピックアップされている可能性のあることは承知の上であえていうが)「死刑賛成」という人に限って「(どんな方法で死刑を執行するか知ってますか?と問われて)電気?ガス?」やら「クスリ?」などと答えていたりする。こういう意見を聞くとどこか「処理」という言葉が浮かんでくる。

死刑制度大賛成!人一人殺したら即死刑にしろ等々とその実態を知る努力もせずに主張される方がいらっしゃるのだから、いっそのこと裁判員制度と同様に死刑執行員制度をつくればいいと思う。3つほど並んだボタンを押すだけだ。そのうちのひとつのボタンだけが床板を外す本当のボタンだ。刑務官は死刑囚を殺す。例え犯罪者であっても人の死である。拘置所の向こう側にある「死」を実感し、自分が死刑執行員になった場合ボタンを押す瞬間に「今ここ」にいる死刑囚の息遣いを感じたら。そこまで考えた上で死刑制度について是非を問うべきだろう。死刑賛成論者はもっと「私たちの名の下で」死刑を実行していることについて強く意識するべきだ。つまり「わたしたちひとりひとり」がいわば殺人者なのである。そのことに対する意識がいささか希薄であるような気がするのは私だけだろうか。

個人的には現在無期懲役が重大犯罪になればなるほど懲役30年以上たたないと仮釈放の可能性が生じない(いまだに殺人罪でも7〜8年で仮釈放になるなどといったデマが横行してることも死刑制度積極的賛成論に拍車をかけていると思う)ことも考慮したうえで、仮釈放なしの終身刑が導入されてしかるべきともだんだん考え始めている。