しかし、不可解。

この記事のコメント欄あたりにナニヤラ不可解な人がきている。

どうもこの方は東中野センセイを「歴史研究家」と思われているようで、私の持つ認識とは根本的に異なるのだが、それはいい。メタボな体型を「堂々たる恰幅」と称する事も出来るし、下手な絵を「デッサン力が特殊」と思うことだってあるのだから、専門が日本思想史・東ドイツ史で中国研究者ではない人(+日本軍の服装についてミリタニーマニアに軽く論破される程度の智識であること)を「歴史学者」と述べることがあってもいいと思う。私も、記事にコメントされた人とは違う意味合いで用いることがある。中国近現代史研究家が扉絵で用いただけの写真を「虐殺肯定派は偽写真を使用している」と金科玉条のようにいつまでも述べる人もいるが、いまだに朝日といえばKYと判で押したようにこたえて喜んでいる人がいるのを思うと、別段不思議ではないのだろう。どうもこういう方は十年一日同じ事ばかり言ってるようなキがするのだが、それも私がステロタイプという意味を誤解しているせいかもしれない。朝日はポジションで捏造し、産経は単なるポカが多いなんてことを言ってるあたり、新聞ってどんどん読者層が減っているだなということを実感する。読んでたらとてもこんな発言にはならないだろうし、朝日や産経をきちんと読んでからアレコレ言えば?とも思うが(いまだに朝日がヒダリだと思っている人もいるしな。朝日は単なる風見鶏なのに)まあ私のようにワーキングプア奴隷職業で、新聞を買う金もないのかもしれないし、あまりそういうことを大上段からいうのもよくないだろう。とまれ、私なぞはこういう発言や、こういう写真↓

を見る限り、朝日は根性が足らないな、と思う。産経のように毎年毎年ノルマのごとく連発すれば捏造誤報報道をしてもやがて「ああいつものこと」と大して気にもとめられなくなるのに、と思ったりするが、まあとにかく感性というのは人それぞれということです。

以前「ガチの人」のところでも述べたが、それにしてもなんだってこのテの人は最初「ほのめかす」ような独白めいたことしか書き込まないんだろうねえ。コミュニケーション能力がないか、あるいは発揮できないかいずれかではないのかなどと邪推してみる。それはアレとして、そのうち大体「その資料は信用できない」だの、「中共に依拠しすぎているから気に入らない」などとえり好みをしはじめ(そういいつつ読んでいるかどうかすら怪しいのだが)最後には「不可知論」に逃げ込む。トートロジーというかタメにする議論をふっかけてなにがしたいんだろうか?情報戦における局地的な勝利!と凱歌をあげたって脳内の花が満開になるだけだと思うんだけれども、もしかしたら例の「南京の真実」もそうだけど、こういう形式をもって、全国や全世界に信を問うているつもりなのかもしれない。日々勝ち続けるのも大切だが、相手にされてないだけかもしれないってことはお忘れなく。