帰化ってそんなに簡単に「日本人」が口にしていい言葉なのかな

例えば外国人参政権問題において「帰化すればいいのに」とか「帰化の手続きを簡単にして参政権を認めない方向で」などという意見をあちこちで見かけるけれども、そういうことをいったり書いたりしているのが「日本人」であることが前々から気になってならない。「日本人」である私は簡単に「帰化すれば?」とはいえない。まあそれにはいろいろ理由があるんですが。

私が想定しているのは、友達のドイツ人のケースである。日本で税金も納め住民票も登録し伴侶は日本人である。永住資格を得ることもおそらく可能だろう。しかし選挙権を行使したいとなると、帰化するしかなくなってしまう。帰化すれば二重国籍が認められていない日本ではドイツの国籍を捨てなければならない。生まれ育った国を捨てろというに等しい。日本が好きで日本でひどいめに多々あっているにもかかわらずこの地で生活をしたい、そして自分が住んでいる環境を少しでもよいものに、ということと、日本国籍のために自分の国籍を捨てるということは、全然別なんだけど、この国ではそれをイコールで結ばされてしまう。いまの、状況では。

そしてこんなことも思う。

沖縄には米軍基地が多い。友人の家族も基地の近くに住んでいて、大変にうるさいと憤っていた。そして基地反対返還運動に参加したとすると、こういうことをいうひとがいる。いわく「日本の国土は広いんだから別のところへ越せばいいだろう」「うるさくて嫌だったら別のところに住めばいい」。確かにそれは一理ある。だがその言葉がどれほど残酷な意味を持つのか、わかる人にはわかるだろう。簡単に、外部の人間、それも結局その「忍耐」によって利益を(大なり小なり)甘受している人間がいうべきことではないと思う。少なくとも、わたしはしたくない。