最近見た映画の感想をまとめて

・「南京 引き裂かれた記憶」
証言で構成されており、加害体験と被害体験が対となって語られる。証言者の何人かは既になくなったことが、映画の終わり頃にわかる。以前Apemanさんも指摘されていたが、「加害体験を語る方の、どこか懐かしい昔を思い出すような印象」について、今回も感じた。被害者は当然トラウマを抱え、叫ぶように語る。その対比がまさに「引き裂かれた記憶」にふさわしい。私は加害体験を語る側の「懐かしむ感じ」についてだからといって責める気にはなれない。人間とはどこか、それすらも消費してしまう咀嚼してしまう生物であることを知っているからかもしれない。もちろんそこまで客体化されているからこそ、語れるということはあるけれど。
それにしても戦争における性被害は万国共通ともいうべきものだと実感させられる。日本に連合軍が到着してわずか数時間で強姦事件が起きたと聞く。だからこそいかに防ぐかについて考えれば「戦争反対」というテーゼに行き着かざるを得ない。万国共通だから仕方ないなんていうオチに絶対にしてはいけない。
こんなことをいうのは本当に慙愧に耐えないのだけれども、やはり性被害の証言を聞くのはつらい。もちろん当事者の苦しみを思えば(そしてそれを告白する心情を慮れば)なにをいってるんだと叱られるんだろうけど。どうしてもわが身にひきつけて考えてしまう。
よく「終わったことだろ」というやつがいるが、そういうことをいうやつがいるからこそ「終わらせることができない」のだ。ただ正直いって映像作品としてはちょっとどうかなあという出来じゃないかと。(それを含めて非常にアップリンク的といえなくもないが)

・「トルコ渡り鳥」
芹明香主演、というか狂言回し的な存在。ちなみに山城新伍追悼特集なのだが、この映画で山城のアニィは単なるナレーター。どう考えても「トルコ 山城」という検索ワードで拾ってきたとした思えない。
物語は「実際のトルコ風呂(現:ソープランド)におけるあんなことこんなこと」を紹介しながら、芹明香扮するトルコ嬢がヒモに寄生されながら全国を渡り歩く姿を描くというもの。冒頭の旅館の二階から素っ裸で股を広げて放尿するシーンがこの映画の総てを象徴しているといっても過言ではない。(これは最後シーンでも登場し、電車からぴゃーっとして「完」となる。なんちゅー映画だ)
で、その寸劇っぽいのもいいんだけど、当時(1975年?)の「トルコ風呂」なるものがどういうものだったかを描写したドキュメントが興味深い。一対一のプレイのモヨウ、一対二のプレイ、一対三、一対どれだけいるかわからない前衛舞踏状態のプレイまでがっつり見せてくれる。とりあえず「トルコ風呂」というのが「女の人が泡だらけになって泡まみれにしてくれてチムポとか舐めたりしてくれるところ」というのはわかった。セックスできるのかできないのかを明言しないあたりが非常にイイ感じでした。

・「鴛鴦歌合戦」と「君も出世ができる」を見る。出来としては明らかに「鴛鴦歌合戦」に軍配が上がってしまうから困ったものだ。ちなみに「鴛鴦…」は二週間ほどでつくったものだという。冒頭からディック・ミネ扮するバカ殿が「ぼくはとってもイイ男〜♪」と歌いながらやってくるシーンで完全にノックアウト。志村喬の美声も聞けます。他愛のない話を楽しさいっぱいでお届けするという快活ミュージカル映画の基本のような作品。素晴らしい。
制作費も日数も遥かに上のはずの「君も出世ができる」だが…やっぱり「幕末太陽伝」の頃のキレのないフランキーは足回りだけ軽快だがいかんせん太りすぎて鈍重な感が否めない。やっぱり軽快さって身体全体で表現するものだなあ…。高島忠夫のボンボン的演技や意外に才が光る中尾ミエなど芸達者が揃っていながらいま一歩というところだった。総じて言えることとしては戦後になってミュージカル映画は劣化した、ということだ。戦争でモダニズムの継承が完全に断たれているのが痛いんだよなあ。

今年はどうにか年間200本鑑賞を達成できそうです。