まさか自分が「○○」と(「○○」に入る言葉はなにかと考えている)

※本来コチラには身辺雑記的なことやご報告ネタは書かないようにしている。(政治ネタに特化したブログなので)だけれども今回は、今回の件は、いつもここに書いていることと微妙にリンクしているし、なによりも「きっかけ」ではあったので、記させてもらう。しばしお付き合いください。

ブログやらなにやらWEB上になにかを書きはじめてもう5年ぐらいになる。古くから私の文章を読んでくださっている奇特な方ならご存知だとは思うが、私は以前ネトウヨでございました。韓国や中国に対して「そりゃねえだろ」とか「ウリナラクオリティ」などといってたし。レイシズム的発言はその頃でもしてなかったとはいえ、振り返れば恥ずかしい限り。(結局なんで「更正」されたかというと現在の同居人である沖縄出身の元カレによるところが大きいのだが、本題から外れるのでこの件については今日は触れずにはおく。ありがとうよミッチェル)

で、その過去ネトウヨでいまネット右翼な私ですが、このたび結婚することになりました。在日コリアンと。

彼はこの「土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪」ブログの読者でして。某SNSのあるコミュニティで「ブログ読んでます」とコメントを貰い、それが縁でマイミクになって、さらにそのことがきっかけでリアルでお会いして*1紆余曲折が大変にたくさんあって、いまにいたるんですが、知人やら親戚から「どこで知り合ったの?」と聞かれて「…ネット上で…」と若干口ごもる(大見得きっていえない)のは別に練炭殺人のせいだけじゃなくて、ネットというもののウサンクサさだけではなく、なんつーか、流行りモノに飛びつきました感が漂うのもありますな。とまれ、これからコンカツ!!Way to the victory!!とか吹き上がる人は、まあなんですか、数うちゃあたる式に出会い系やら婚活サイトへ五月雨登録するよりも、注目を集めるエントリーを書くとか、面白い文章をWEB上に公開するなどといった古くて新しい方法がイケるんじゃないでしょうか(ナゲヤリ)。ナウなヤングはツイ婚が熱い!!!閑話休題

しかし、なんですな。私が在日コリアンと結婚するとは夢にも思っていませんでした。それもこんな形で知り合った人と。まさに縁は異なもの味なもの。おかげで異なる文化に触れたり、日本は日本人だけのものじゃないし、そもそも日本人の定義ってなんだろうね、と実感させられる機会がカクダンに増えました。

結婚するにあたって障害はいろいろとありましたが、彼の家族が「純血主義」的なところがある(と聞かされてた)、ということと、私の親が嫌韓だったことが最大のネック(無論後者のほうが大変)だったんじゃないかと。ネット右翼の親が嫌韓だったなんて洒落にもなにもなりゃしないが、幸い両親ともに、というわけではなく、片方は「何人だっていいじゃないか。朝鮮人でもアメリカ人でも大事なのは人物であって、日本人だってロクでもない奴がいるんだから」といって「説得」してくれて、彼の家族は「息子が気に入った相手なら大歓迎である」と、ハードルをクリアしていき、ここまでたどり着くことができた。結婚すると、いきなり大勢の親戚に囲まれることになるのだけれども、彼らの「同胞」になったという意識は、正直、私にはない。

例えば私が彼の子供を生んだとして、その子はおそらく彼にとっては「我が同胞」となるのだろう。だが、母である私はそうはならない。孫ができ、一族として血脈が受け継がれるとしても、私は「そこ」には交わらないままである。

彼の家族は彼のことを朝鮮語で呼ぶ。私もそうしたほうがいいのかとも思うのだが、彼は「日本語読みでいいよ」という。家族のなかで私だけ異なった呼び方をしているのは、自分が「まじわらぬもの」であることをいつも強く意識させる。でもそれは決して「悪いこと」ではないと私は思う。

オモニが、と彼は言いかけて、おふくろが、と直した。わたしはなぜオモニと呼ばないの?と問いかける。それでいいよ。「ありがとう」と彼は言う。私は、私の子からオモニと呼ばれるのか、お母さんと呼ばれるのかはわからない。それでも、どちらであっても、民族が民族として拠ってたつ、そこだけは教えたいと思う。

彼の実家にご挨拶に伺った際、ご家族から「ウチはこういう(コリアン系の)家で、いろいろとありますが、それでも大丈夫ですか?」といわれた。いまだに出自について言われることがあるという。そういう私も、彼と付き合っていることを話して、そのテのこと、ある種の「対応」を受けたことは何回かある。(露骨に嫌な顔をされたりした)差別を区別だと公言してはばからない人間もまだまだ多いし、「在日特権」なんてヨタを真に受けているアレな輩も少なくない。

彼は以前、「正月に、日本のお雑煮と韓国のお雑煮、二種類食べられる。このことこそ在日特権だ」ということをいっていたが、私もそれに習うと、チョゴリとウェディングドレスと白無垢と、全部着られるのは「特権」でなくてなんだろう? 「いままで3つの国について悩んできた。日本と韓国と北朝鮮と。でも悩めることは、有る意味幸せともいえるんだよね」と語ってくれたことがある。彼の「相克」を「わかる」つもりなど、私には毛頭ない。ただそこに寄り添い、私なりに見つめていこうと思っている。「日帝36年」支配階級と被支配階級を「歴史」として背負うわたしたちは、これから、なにを残していけるんだろう。

あじあはひとつ、と岡倉天心はいった。アジア主義にはもちろんその思想の傾向やたどった道を考えれば、考慮すべき点が多々あるがそれでもどこか惹かれるものはいまだにある。あじあはひとつ。そのテーゼは今でも有効で、いまだからこそ検討されるべきであるようにも思う。60余年前、日本は「あじあをひとつ」に統べるべく、ひといろに塗り替えようとした。国家社会主義的価値観によって。いま「あじあはひとつ」と思うとき、そのことを確実に考慮しながらも、さまざまな色が独立して「ひとつ」になっている姿を夢想する。海角七号の監督が述べた、独立した色が独立したままで存在して美しい虹のように。

「こうやって次世代へつながっていくんだよ」と彼は言った。その言葉を考えている。たぶんこれからもずっと。

◆それにしても

在日コリアンの結婚式については噂に聞いてたけれど、いやーほんとうにすごいですよ。「在日同胞ブライダルガイドブック」の2001年度版をゲット(死語)したんですが、読めば読むほど圧倒されまくりです。10年前のブツでよろしければ、次回はこちらをご紹介。