「殺人者と被害者の遺族は和解できるか」(1)

私には刑法の知識も刑事訴訟法の知識も中学高校レベルで、とても知っているとはいえないが、殺人関連の本をよく読んできた。コリン・ウィルソンやら別冊宝島などはほぼ殺人関連の内容なら即買ってしまうという時期も長かった。

今回、光市事件とその遺族、被害者へのケアなどを考えているうち、思うところがあったので以下の記事を引用しながら紹介したい。1997年発行別冊宝島333「隣の殺人者たち」の一節、「殺人者と被害者の遺族は和解できるか」(福田ますみ著)。なお年齢等の表記についてはそのままである。

愛知県下に住む橋本宏明さん(49歳・仮名)が、弟の交通事故死の知らせを受けたのは、1983年1月24日の早朝だった。半信半疑のまま、とるものもとりあえず事故現場に近い京都の木津署に車で急行した。

橋本さんが弟さんをなくされたのは、上記引用にもあるとおり1983年1月24日早朝だった。弟の和夫さん(仮名・当時30歳)は知人の経営する運送店に運転手として勤めて2ヶ月足らずだった。その仕事中に事故を起こした。木津署では「トラックを運転中、堤防上の道路から木津川河川敷に転落して死亡したようです」と開口一番に説明をうけた。おそらく居眠り運転だろう、とも言われた。

弟の遺体はそれはむごいものでした。後頭部が打撲のために陥没し、顔面がひどく腫上っていました。その日のうちに弟を自宅に連れ帰りましたが、おふくろが泣いて泣いて…。
私は男三人、女一人の四人兄弟の長男なんですが、なくなった和夫は一番末っ子で、おふくろはとりわけかわいがっていたんです。それにまだ独身で、おふくろと同居してましたから。
前の晩、おふくろは弁当を作って弟を送り出したんですよ。「行ってくるよ」それが最後の言葉だったそうです。家が近いこともあって、弟は我が家にもよく遊びに来ました。そう、事故の二、三日前にもやってきて、テレビを見ながらさかんに冗談を言っていたなあ。
その弟が不意にこの世からいなくなってしまった。なんだか悪い夢を見ているようで、現実感がまるでありませんでした。でも、本人の居眠り運転ですからね、誰かを責めるわけにもいかない。まあ、ほかの人を巻き添えにしなかっただけでもよかったなと、強いてそう思うことにしたんです。

だが、そんな橋本さんのところへある日意外な知らせがやってきた。