そうか…死刑か…

光母子殺害事件、元少年の死刑確定へ…上告棄却

山口県光市で1999年に母子2人が殺害された事件で、殺人や強姦(ごうかん)致死などの罪に問われ、差し戻し後の控訴審で死刑となった元会社員について、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は20日、被告の上告を棄却する判決を言い渡した。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120220-OYT1T00751.htm?from=main2

光市母子殺害事件で死刑確定へ 本村 洋さん「満足しているが、うれしいとかはない」

判決後、本村さんは会見を開き、「今回、わたしたち遺族が求める死刑という判決が下されたことに関しては、遺族としては、大変満足しています。ただ決して、うれしいとか、喜びとか、そういった感情は一切ありません。反省の情があれば、わたしは死刑(判決)は下らなかったんだと思っています。あした、福岡の方のお墓に行って、きょうの判決のことは、ゆっくりと報告しようと思っています」と語った。
一方、大月被告の弁護団は、「死刑判決は、全員一致でなければならないとする最高裁の不文律を変更するものであって、強く非難されなければならない」とコメントしている。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00217657.html

ある程度は予想していましたが。

この事件は「少年が人を殺した」だけではなく、日本の、ある種の分水嶺となってしまったともいえる。法の分水嶺ならまだしも、日本そのものに対する分水嶺となると、刑事事件がこのような役割を担うことについて、私はとても強い違和感を持っている。

この事件は、以前からずっと追いかけていて、私のブログでも何度も言及してきたので、もう触れません。不幸な育ち方をした少年が、不幸な事件を起こした。更生の機会は与えられていたのに、いつも少年からすり抜けていってしまった。殺された母と死んでしまった子(赤ちゃんについては調べれば調べるほど死因不明としか言いようがないのではないか?という疑念が大きくなるばかりなのであえてこのような表現にしています)、殺して、死刑になる被告人らが、当事者の筈なのに、時が経てば経つほど、希薄な存在になっていく、そういう事件でもありました。この事件を利用し、のし上がっていった人、厳罰化につなげようとした側、誠実に弁護しようとしていたのに余計な攻撃にあわざるを得なかった人…。ある方の言う通り、一介の刑事事件を超えた「代理戦争」と化してました。

判決を知って、憤りよりも、ひどい失望というか、疲労感が、いまはあります。とても「死刑になった!バンザイ!」なんて喜ぶ気にはなれないし、そういう人の良識を疑います。でもmixiニュースについた関連日記や2ちゃん、twitterなんかでは、凱歌の声がそこかしこであがり、そしてこの事件を契機にのし上がった人間が首長となり、連日いけしゃーしゃーとマスメディアで「平成維新」だのとゴタクを述べてる…日本は、とてもいやな国になってきたな、というのが、いまの私の実感です。

今回の判決に、反対意見をつけた裁判官がいた、そのことが私にとって、司法の良識をみた思いがします。