「原発国民投票」なるもののうさんくささ

原発国民投票とやらが盛り上がっているようですが、アホみたいだな…という感想しかとりあえず浮かんでこない。*1「善人」な方々が声たからかに街頭にたってる姿をみると「地獄への道は云々」っつーお定まりの台詞が俺ちゃんの脳内にこだましちゃうわけです。ええ。

ここhttp://togetter.com/li/239070社民党野崎靖仁氏が述べているとおり、今年の4月にはすべての原発が稼動を停止する。引用すると

原発は今年の春で全基停止。火力発電のコンバインドサイクル化で、原発の再稼働なしでも電力需要に万全の対応。企業の実務レベルで天然ガスシフトは着実に進んでいる。政治は、この流れに棹をさせばよい。予言しておく。「天然ガスシフト」を高らかに宣言した政治勢力が、次のヘゲモニーを握るだろう。」

「現在、電力供給の約6割は火力、8%が水力、約3割が原子力。つまりメインの発電は火力。火力・水力発電所はフル稼働しているわけではないので、既存の火力・水力発電で電力供給を賄うことが可能。「原発がベース電源」という位置づけをなくせば、「原発代替エネルギー」という概念自体が不必要。」

ということなのだから、再稼動阻止と天然ガスシフトを推進するほうがよほど「現実的」といえる。国民投票運動とやらはこの動きをとめこそすれ、なんの益にもならない。はっきりいえばこの運動に乗ってる人たちは「推進派」のお先棒を担いでるといっても過言じゃない。*2ひどいのになると「負けるとわかっててもやる!」とか吹き上がってたりする。そうなると「脱原発」という「動き」をとめるためにやってるんじゃないか?と勘ぐりたくなる。てめえらのオナニーに「脱原発」を道連れにすんじゃねえよ、と苦々しい思いでいっぱいになる。こっちはね。

だいいち国民投票なんて「やったら終わり」なんだ。

裁判員制度だってそうだけど、「とりあえずやってみる」で実行された物事で「市民の側」の論理なんていつだって適用されない。為政者の都合のよい方向に持っていかれる。国民投票も実行されれば次になにが待ってるかひをみるより明らかなのに。なぜ「自分たちの都合のよい結果が訪れる」ことしか考えないんだろう?「やることに意味がある」思考に基づいて実践されたことで「よい結果」(市民側に有利な結果)を招いたことはひとつもない気がするんだけどね。私はそれがおそらく「運動の結果」よりも「どれだけ自分ががんばったか」を優先させてるからそうなると考える。天然ガスシフトだってなぜそれが優れてるのか、脱原発になるのか、勉強しないとわからない。でもそんな手間もひまも時間もかけたくない面倒くさいことはやりたくないけどなにか「自分がかかわった充実」がほしい。「みんなの力で世界を変えるんだ!(キラキラ」って「自分探し」も結構だけど、なんだそれって日々妄想幻魔大戦を戦うネトウヨさんと同じじゃないですかー……。

「歴史は繰り返す」じゃなくて「歴史は繰り返させられる」。それを実感する。

*1:なんつーか怖いのは「国民投票」と「住民投票」の区別がついてなさそうな感じとかだな…。

*2:推進してる連中を見るとどっかの代理店がいっちょかみしてそうなメンツなんだよねー…。うさんくさいことこの上ない。