久しぶりに感動した。

えー、私事でいろいろとありまして、すっかりブログ読んだり書いたりということから遠ざかっておりました。よく拝見していた方のブログもすっかり幾久しい状況でして。お恥ずかしい。とりあえず地道に復活しようと思っていた矢先、ここ最近コメントいただいていたりしたんですが、ついにあの「留守番」さん(「うどん屋かっちゃんの××な日記」というサイトの執筆者)が復活されたご様子。で、復活したばっかりなのにもういきなり切れ味のあるエントリーが高回転で回りまくりですよ。

「どっちもどっち」という奴隷の病
http://blog.livedoor.jp/rusuban_the_3rd/archives/51171652.html

歴史修正主義界隈でもこの「どっちもどっち」はよく見受けられるけれども、ミヤダイ的な「どっちもどっち論」(略称DD論)はなにもそこだけではなく、今回の選挙を前にして、燎原の火のように通常良識ある発言をする人にまで広がってしまっている。それではいけない。特に知的コンプレックス過敏症に罹患している人に顕著ですな。気をつけないと私のような典型例は罹患しちまいそうです。ちと引用します。

いったい、「どっちもどっち病」のみんなたちは、民主党に何を期待していたのだろうか?

それとも、永遠に自公連立の世の中で、ブチブチ文句を隅っこのほうで垂れているのが、あらまほしき姿なのだろうか。

それとも、あれか。「いつか王子様が」という願望かね。「いつか理想の政党様が」ってか? で、民主党がそうじゃないから、幻滅しているの図、になっているのでしょうかね。“地上の楽園”を建設してくれない民主党には幻滅したぜ!とでも云いたいのかしら。

まあ確かに、「月詠」だの「小時」だののDQNネームを子どもにつける奴が、この総選挙の候補者にいたりするのを見るのはウンザリなのですが、じゃあ「どっちもどっち」と思考停止していていいのかって話です。

そもそも、国会議員ってのは、我々が「使うため」にあるわけで、自公の連中より、民社国の連中の方が、現時点では「使える」蓋然性が高いわけです。安易な“どっちもどっち論”を云うのは簡単で、まったく頭も胆力も使わずラクチンな話なのですが、問題はそこに、「議員を使う側の覚悟」がどれくらいあるかじゃあないでしょうかね。その場合、「砂のような大衆」に較べて、「上から1割」くらいの知的階層の果たす役割は、実はかなり大きいわけです。

この辺はホントにその通りです、としか言いようがない。まあぶちぶち「俺たちの理想国家」を待ち続ける人もいるかもしれませんが、そんな「隠逸」がこの国をここまでにしてしまったんじゃないでしょうかね。DD論を言っていっぱしのインテリ気取りをする前にもっとやることあんじゃネーノ?と俺ちゃんは思ってしまうのでした。