パクリの友は仲良くパクる

オタキング(笑)があるWebサービスを停止させた件は記憶に新しい。

問題となったのは、ダイエット支援webサイト「いいめもダイエット」。岡田斗司夫ヒョーロンカは著作権侵害であると同webサイトに抗議し、サイトはサービス停止という措置をとった。これについて岡田ヒョーロンカは“「いいめも〜」が「レコーディング〜」を誤解させる構造になっていたことが抗議の理由だった”と釈明しているようだ。

岡田斗司夫さん、ダイエットサイト閉鎖問題で釈明
(以下の産経webにて全文が読める)
http://sankei.jp.msn.com/life/body/071026/bdy0710261755004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/body/071026/bdy0710261755004-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/body/071026/bdy0710261755004-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/body/071026/bdy0710261755004-n4.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/body/071026/bdy0710261755004-n5.htm

著作権上問題が、などとおっしゃられてるようだが(その割には引用についての記述などを読む限りあまり著作権法についてはお詳しくないように思えたり)そもそもレコーディングダイエットなるものは、そのダイエット法だけを取り上げるならば糖尿病やら栄養士と関わりがある人なら周知な話であり(ちなみに私はウェイトトレーニングをはじめた17歳の頃に勧められた)ダイエッターやビルダーならなにを今更な方法論だろう。まあレコーディングダイエットという名称については商標登録してれば確かに無断使用すれば問題があると思われるが。

ではそういう方法論以外はオリジナルなんかいといえば、正直私にはクロに近いグレーと思えてしまう。元ネタ?と思われる先行本があるのだ。(夏目祭子著「ダイエットやめたらやせちゃった」)しかも作者は現在オタキング(笑)に「事実関係について問い合わせている」という。

『いつまでもデブと思うなよ』第7章が『ダイやめ』をマネているというご指摘に答えて
http://s04.megalodon.jp/2007-1027-0153-08/blog.so-net.ne.jp/antidiet/2007-10-24

先般来、オタクアミーゴスのお仲間であるところの唐沢俊一センセイもUFO本で素人ブロガーから丸パクして朝日新聞書評をお休みする羽目に(推定)なってしまったようだが、さすが同好の士、このあたりもあうんの呼吸なのかしらん。UFO本といえば、2ちゃんに興味深い書き込みがあった。(以下引用は2ちゃんねる書籍板・唐沢俊一12スレhttp://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1192636087/254より)

254 名前: 書店員 [sage] 投稿日: 2007/10/25(木) 21:23:22
>>230
これはウチで使ってる問屋の話だけど,
書籍の流通ラインには,新刊ラインと注文ラインがあるわけだ
新刊ラインはその通り新刊を扱うラインで,本の配送数は
事前注文や実績を元に自動で決定される(出版社や問屋の意向)

んで注文ラインは純粋に書店の注文分のみ扱う
この2つは書店に届ける配達時間も異なる

さて,売れ筋の本に増刷がかかった場合,注文ラインをあえて通さずに
新刊ラインを使って配本する場合がある
つまり新刊ラインとは言っても,新刊でなくても流せるわけだ
んでUFO本の場合,2刷は新刊ラインで流した

例えば内容に問題のあった本の改訂版を出す時には
事前に返品依頼をFAXで流したり,営業が直接書店を回って返品させ,
改訂版を新刊ラインで流すのはよくあること
UFO本の場合は,返品依頼が無い以外は以上の例を踏まえている

ちなみに俺は新刊書にUFO本がまぎれて来たのを見て2刷だとピンと来て
このスレに報告したんだが,
書店員で唐沢と騒動を知ってて2刷の存在に気づいたのは
多分日本で俺一人,こっそりすぎだぜ幻冬舎

これが本当ならば、幻冬社の問題処理能力における辣腕さには驚愕せざるを得ない。

でもって私はと学会ファンではあるのだが、正直上記お二方はあまり好きではない。お二人のスタンス(特に唐沢センセイの)が「と学会ファン」でもありながら「根本敬主義者」でもある私からすると他者との差異を自らの優位性へ反転させてるような気がして苦手である。いや昔は唐沢俊一センセイの本、大好きでしたよ。貸本漫画をいろいろと紹介しているあたりとかずいぶんお世話になったもんだ。ただこのところのセンセイのお仕事振りを見ていると、どうも「ひさしを借りて母屋を乗っとる式」の戦国乱世下克上主義がかいま見えるようでいただけない。あくまでも内部を知らない赤の他人の無関係第三者の立場からすると、最初はちょっと関わったぐらいに見えたのがいつの間にか自分こそその道のプロみたいな感じでおさまってるように見えるのだ。ある方が「でも唐沢センセイの本とか桐○操センセイの本とか見るたびに、マイナー世界の話を、人目に触れるところに移植する商売はありだなとも思ったりしますわ。」とおっしゃっていたが、唐沢センセイが成功した理由ってまさにそれ。貸本漫画にしろなんにしろ。でもって人目に触れるところにだしたら、自分がその筋の第一人者みたいな感じとなる。(と学会もいつの間にか屋台骨背負ってるみたいになってるしな。個人的にはなんで最初の本ででてこなかったのかなと思う。それが宝島30の連載をまとめたものだとしても。まあこのあたりは経緯を直接見聞きしたわけではない他者の勝手な感想なんですが)それは奥方との共著である「すごいけど変な人」を読んでますますそう思う。

これは何人かのいわゆる「変人」を取り上げ漫画(ソルボンヌK子)と文(唐沢センセイ)で紹介していくありがちな雑学?本なのだが、この中にエド・ウッドがでてくる。「死霊の盆踊り」を二人でみてソルボンヌK子が「つまんね!」というのを唐沢センセイが得意の雑学知識B級博学でもって良さをデンドウしていくという内容。このほか唐沢センセイのありがたいご高説もあるわけ。(この構成ちと恨ミシュランぽいと思つてしまつたよ)
ここだけみると90年代はエド・ウッド流行ったよね、みたいな話で落ち着くわけだが、奥付けみればアータ2001年発行。ショーワなネタを新世紀懐古的感傷で振り返るにはいささか(つかドロドロに)鮮度落ちてやしないかね?それにしても遡上にあげるのが「プラン9・フロム・アウタースペース」でも「怪物の花嫁」でもなく「死霊の盆踊り」っていうのがアレだな。「エド・ウッドとサイテー映画の世界」(1995年発行)以前のネタだろこれ。イマサラともいいたくなくなるこの周回遅れの甚だしさ。しかも本の中でいっぱしのエド・ウッドマニア、いかにも俺は昔から知っていたんだぜ?俺こそ専門家みたいな語り口だし、これには失笑を通り越して気の毒にすらなった。先駆者への礼儀なんてことは論理外なんだろうな、というのはよくわかった。なんちゅうか、柳下毅一郎町山智浩江戸木純といった面々にどのツラさげて、と思うがきっとそんなことを考えてはオゼゼがゲットできないほどライター世界は百鬼夜行の死屍累々なんでしょうな。

貴重な野生動物のように、彼らの居場所は年々狭められているように思える。そりゃあっちこっちからパッチワーク(そういや酒鬼薔薇事件の時犯人の文章をそう評してたな唐沢センセイ)みたいに知識を寄せ集めしてたら、語学力と根性、マニア愛にあふれたより詳しい人があらわれた際にどうなるかは火をみるより明らかだ。知識の裾野が決まっているのだから、意外な組み合わせで勝負するしかないのに、そういう努力よりもなんとなくウラガワの「政治力」的なモノが透けて見えてしまうとなると、事物それ自体を愛でるのではなくそれを知ってる自分にまず愛着がくる、なんて風に、案外人は見抜くのかもしれない。なんですかね、バブル時代に多角経営に乗り出した企業はいまみんなアレになっているという事実をもう少しきちんと考えたほうがいいと思う。特に唐沢センセイにおかれましては。(文中敬称略)