ラーメンと性豪

ラーメンは万能食である。

これは季節を問わないという程度の意味合いであって(夏のカンカンに暑い中汗水噴出しながらラーメンをすするのはストレス解消法のひとつだし、冬冷えた手を温めるようにドンブリを抱え、体の芯へぬくみを移すように少しずつ腹へおさめていくのは美味い不味いをこえて滋養の域に達しているといえる)、決して赤ちゃんから病人じいさんばあさんなんでも来い、というわけではない。そういう意味で考えるならば、こってりしたにおいに惹かれ、カウンターに腰を下ろしたときふと垣間見える麺をすくうその腹周りの豊かさと、具材を彩りよくのせんとする朴訥な顔色の悪さを思えば、もしかしたら美容健康にはあまりよろしくないかもしれない。

この前ある評判の店へ連れられていった際、驚いたのは味の濃さでも丼からコンモリ強烈な自己主張する野菜その他のボリュームでもなく、ただただ店主の色黒さだった。しかも妙にドス黒いのだからよけいに気になる。汝、味の素大量に服用せし哉?店主を覗き見つつ肝硬変について考えながらラーメン食うなんて頂けないねえ。

母は最近東京には食べたいラーメンがない、なんて智恵子みたいな独白をする。「だってねえアンタ、アレがあれなもんでねえ…」と要領を得ないもんだからついつい助け舟をだし、ああ余計な差し出口を、と内心慚愧に耐えないが、そうそう、それよありがとうと安堵の表情を見せたから、私も少しホッとする。母が望むラーメンとはこうだ。味はあくまでも醤油。色は薄めで脂は少なく(背脂とはあっしの背中です肥えた秋)ちぢれた中細麺の上に海苔とシナチク、ナルト。これに好みでほうれん草と、後はペロリとチャーシューが乗っかってたら言うことないねえ。しかしこんなラーメンというよりも支那そばの方がピッタリくるようなシロモノが、既に絶滅危惧種となって久しい。場末か街の片隅の蕎麦屋にたまさかその姿を垣間見せる程度である。(大概そういうのは店頭見本が埃をかぶるないし色あせて蕎麦だかラーメンだか判別不能となっているから泣かせやがる)なつかしの東京らあめんいまいずこ。

支那そばと謳い、また見本も(最近のラーメン屋はお品書きしかなく実は見本も姿を消しつつある。この場合は店主に尋ねねばならないが行ったん入って違うのでサヨウナラというわけにもいかないから困ったものだ。しかも店内会話禁止ときたらドースリャええのよ?)それらしき佇まいを見せている店へ入り見事違わぬものが運ばれてきてもスープを一口、とした瞬間、これがまた鰹鯖ほか謎の魚出汁と得体の知れない獣出汁が両者睨み合いながら舌の上で堅くキツリツしたりするので油断がならない。出汁というのは素材の旨味が渾然一体となるところに妙味があると思う昭和生まれはついてけまへんで。あれはこれだけいろいろ使ってやってるんだから味がしなければ元が取れないというパセティックな欲求(貧乏根性ともいう)につきうごかされたやむにやまれぬ衝動によるものと解釈している。だいたいチキンスープストックが鶏がらとしょうがとねぎとたまねぎセロリ大蒜ブーゲガルニ粒胡椒なんかが全部バラバラの味がすることはあるまいて。玄妙にして明快、単純な手順から佳肴が生じるところがラーメンの醍醐味だと思うんだがなあ。ショセンこんな妄言は前世紀生まれゆえの繰言と笑っておくんなまし。

ラーメンでもうひとつ思い出すことがある。
オワダくん、ラーメン好きだったんだよなあ。

私が以前勤めていたコールセンターは某信販会社の委託業務を請け負っていた。私のようなペーペーのオペレータの上にはそれをまとめるスーパーバイザーがいたのだが、その会社は中間管理職のように、さらにその真ん中にアシスタントスーパーバイザーを置いていた。略してASV。スーパーバイザーほど責任がないので、オペレーターの昇進先としていたようだ。私が配属される少し前に昇進したというオワダくんは滑舌の悪さと痩せた体躯に吹き出物という、妙齢女子ばかりの職場では厳しい評価を下されがちな特徴を取り揃えていた。オワッタと陰口をたたかれることもしばしばだった。そんな事情を知ってか知らずか、オワダくんは実にこまめによく動いた。例えば電話口でしょっぱなから怒気を噴き上げる人もいる。そんなとき要領のいい女子は「オワタは“すみません”じゃなくて“シュミマセンデス〜”なんだから」と嘲笑をした次にはもう「オワダくーん、お客さん怒っているのぉ」とやる。オワダくんは齧歯類を思わせる風貌に若干の苦味を加えながら、「わかった。俺に任せてくれればいいから」と語尾があいまいに収束しつつヘッドセットを受け取る。その姿はまるで荒野の決闘に向かう孤独なガンマンのようだ。ガンマンは銃口ではなく電話口に向かって不確かな日本語をまくし立てるものだから、周りにいるオペレーターから彼の上司であるチーフアシスタントスーパーバイザー(このテのよくわからない横文字肩書きはどんどん増殖しているようだ。この程度で驚いているわけにはいかない)も苦笑している。「…で、ございまして、そうおっしゃっちゃっても、いえ、おっしゃられても、私どもといたしましては、こうなっちゃって、こうやってですね、いたしますですね…」

お客が納得しているのか、はたまた雨あられと降り注ぐアヤシイ日本語の絨緞爆撃に疲れ果てたのか定かではないが、確かに彼が変わるとあっという間にこじれにこじれた話がまとまることがよくあった。しかしその手腕よりも「曖昧なニホンゴの私」のほうが肴にされていた。苦情を引き受けて去る彼の背中がさびしそうなのはそのせいかどうかは知らないけれど。

私は、特に彼を槍玉にあげることもなかった。不確かな言葉遣いに時折傍らにいるコチラのほうがヒヤリとさせられはしたが、その程度で、彼に関しては終始一貫、フラットな感情を保持していた。お昼をともにしたこともたびたびあった。

会社の近くには大きな公園があって出来る限り私はそこで食べることにしていた。明るいし、なにより会社の空気の中に一日中ひたっていると、体のどこかが確実にくすんでいくような気がして耐えられなかったからだ。寒いのに(当然夏なら別な言葉がくる)よくやるねと私についてくる人はいなかった。それがまた小気味よかった。

私がテキトウに昼飯をやっつけ、群れ集う子らを眺めていると、オワダくんがやってきた。いいここ?というまもなく隣に腰掛ける。なに食べたの?というような軽い話題が続いた後唐突に俺さあいまぎっしりなんだよねと財布を取り出した。ぱらっと札入れを開くと確かに万札が行儀よく並んでいた。おお金持ちだねと受け流すと、今日はさこれで遊びに行くんだ、と嬉しそうだ。小動物っぽい前歯がきらりとひかる。いっぺん行くと向こうから電話来ちゃってさーというから穏やかでない。どうやらアソビ違いのようだ。離れたところで騒ぐ子供たちの笑い声が響く。空は青く冴え渡り、昼間の月は新しく、彼の恋は始まったばかりなのかどうなのか。そのときばかりは場違いな彼に鼻白んだ。

なにしろ俺は、と伺うようにこちらを見る。中学のとき学年で三番目くらいの「大きさ」だったんだよと胸を張る。フーゾクで如何にモテるかなんて(その大きさでね)いう話に、どう対応すればよいのかわからない年ではなかったが、どういう風にも答えたくなかった。へえすごいのね、とありきたりに笑って、加藤鷹がどうのこうのいう彼の話を黙って聞いていた。後であれはどうやらクドキだったのではないか、と思ったが、そんなことで女を口説こうとする男がいることが当時は信じられず(だってそりゃアナタ、そんな口説き文句でコマそうというのはスーツ姿でエベレストに登るようなもんじゃありませんか)だがそれは不幸な形で実現してしまった(終業後、ラーメンを食べに行こうと誘われ相伴したのはよかったが、人気のない公園に連れ込まれナニをアレされそうになり阿呆めと逃げたのだ)のだが、それからはなるべく彼と昼休みがかぶらないようにした。以後私の公園生活は実に平穏なものだった。(実際は他の要因のよってさまざまな出来事に遭遇するのでそれほど平和ではなかった。その話はまた後日)

私が仕事をやめる3ヵ月ほど前に、彼は新設コールセンターへ転任となった。オワダくんは最後まで明るく、そしてニホンゴは相変わらずアヤシゲだった。しばらくしてから、仲良しの職場仲間から、オワダくんが本当はかなり高額な親の借金を返すために、あの仕事が終わった後も内緒でアルバイトしていたこと、そのうちに自分でも借金をするようになり首が回らない状態であったことを聞いた。「無理しすぎたんだよなあ」と友達は表情を引き締めた。「俺も貸した金あきらめたよ」あのときの札入れを思い出し私は胸を衝かれるようだった。「苦情ばっかり言われて嫌じゃない?」となにかの話のつなぎに聞いたことがある。「こんな仕事でも俺みたいなヤツに任せてもらえるんだから」と彼は笑っていた。オワダくんちが夜逃げしたらしいということを聞いたのは、さらに経ってからのことだった。

出来るならば今でもオワダくんが、あの齧歯類フェイスににきびをうかべ、自身の性豪をアピールしていてほしいと思う。そしてなんとか可愛いおねえちゃんでも手にしてほしいものだ。先ほど、エベレストにスーツ姿で挑むようなもんだと書いたが、なに男だもの、不可能に挑戦するぐらいのイキがよくなくっちゃね。彼のあくなきバイタリティ、ど根性、やったるで精神の源がラーメンであるのなら、美容も健康もドドメイロだっていいじゃないか。元気があればなんでもできる。背脂タップリも、なんの、そう悪くないのかもしれない。

時折、オワダくんの孤独なガンマンみたいな顔を思い浮かべることがある。そうしてしみじみ、ナニがどれほどのモノだったのか確かめるスベを持たなかったことを残念に思ったりする。