本日の産経抄は「医療崩壊したっていいじゃないか にんげんだもの」

昨日の曾野綾子「正論」のインパクトが薄れないままに、本日の産経抄はそれに便乗して怪電波発信中でございます。

産経抄】1月10日
http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/080110/wlf0801100342000-n1.htm

 どこまで恵まれれば気が済むのか。きのうの小紙「正論」欄で、曽野綾子さんが、日本人に活を入れている。お正月気分から抜けきれない小欄も、頭から冷水をかけられた思いで受け止めた。
 ▼広く世界を見渡せば、われわれはあらゆる面で恵まれている。それに感謝するどころか、少しでも欠落した部分が見つかると、許せなくなる。確かに曽野さんが「引き算型」と呼ぶ人が最近とみに増えてきた。
 ▼医療現場でも、「引き算型」患者の存在が問題になっている。医師側に問題がある場合もあるが、適正な治療に対しても、執拗(しつよう)にクレームをつける。自分の思いこみにすぎないのに、事故と決めつけて訴訟を起こす、なかには、自己負担分の医療費を支払わない患者までいる。
 ▼もちろん、現在の「医療崩壊」をもたらしたのは、厚生労働省の失政だ。もともと不足している勤務医が、疲れ果てて現場から逃げ出しつつある。『中央公論』1月号に掲載された若手医師の座談会を読むと、事態はより深刻だ。米大統領選で勢いを取り戻した、民主党ヒラリー・クリントン上院議員が仮に大統領の座につけば、相当数の日本人医師が米国へ流出するという。
 ▼議員の持論である皆保険制度を導入すれば、4000万人もの患者が新しく生まれ、大変な医師不足になるからだ。若手医師は言い切る。これまでの医療水準を保つことは何をやっても無理。「何を我慢するか」について国民が合意するしかない、と。
 ▼いや、国民の多くは、実は「足るを知る」ことの大切さに気づいている。きのうの「朝の詩」の作者、浅沼けい子さんが、本当の豊かさとは何かと問いかけて、こう結んでいるではないか。「その答えを本当は 誰もが知っている」

さすが産経抄。あの独善の極みともいえる曾野綾子「正論」を盛大に褒め称え、そしてなぜか医療崩壊問題へつなげ、最後の〆は「その答えを本当は 誰もが知っている」。どういう脈略か、書いている本人以外さっぱりわからないといういつもの産経抄ぶりを発揮しているのだが、それにしても「医療崩壊」に対して「国民が何を我慢するか合意するしかない」のが、「本当の豊かさ」について「その答えは誰もが知っている」にどうつながるのか、皆目見当がつかない。「医療崩壊がなんだ、(発展途上国なんて医療設備自体が整ってないんだ)現状が恵まれすぎているんだから我慢しろ」ってことをいいたいのだろうか。つまり産経抄曽野綾子も「欲シガリマセン、勝ツマデハ」のロジックで物事を語っているに過ぎない。どんな不平不満にも「遠くで死線をさまよっていらっしゃる兵隊さんを思えばそんな贅沢、我慢できる」というアレである。戦中の小国民世代が発する右派的言論の浮薄さには耐え難いものがあるが、あれも戦中派と呼ばれる従軍経験者が味わった悲惨さとは無縁なところにおかれたが故の無邪気な憧れと「間に合わなかった」ことからくるアイデンティティの欠損感と無意識にそれを補填しようとして生じるルサンチマンが渾然一体となっているからだと思うのだが(70過ぎの軍国少女か。死蝋以外の何者でもないな)、それはさておき、そもそもこの「医療崩壊を訴える座談会」で「若手医師は言い切る。これまでの医療水準を保つことは何をやっても無理。『何を我慢するか』について国民が合意するしかない」というのは、抜本的な医療改革を施した上で「何をやっても無理」なのか、「現状のまま」では「何をやっても無理」なのかでまったく違う話になってくる。原典にあたってないのでなんともいえないが、このあたりの話はどういうニュアンスで入っているのかとても気になるところである。なにせ我田引水の牽強付会を社訓としてる(嘘)産経新聞のことなので、どういうトンデモ理解力を駆使しているのかわかったものではないし。(時間がないので今はこのくらいで。後から追記します)