上坂冬子の映画「靖国 YASUKUNI」珍解釈には笑った

レビューとシンポジウムルポのupが遅れていることへのお詫びとしてはなんだが、上坂冬子氏が産経正論でトチ狂った映画の感想を書いていたのでご紹介をば。

私も参加した例の日弁連の試写会にどうやら上坂冬子氏も来ていたらしい。ここ数日産経「正論」では“再論「靖国」”と称して見てない人による映画「靖国」評が続いたので*1「真打登場」ってことでしょうか。(それにしてもこんな特集組むなんて、産経はずいぶんご執心ですな。そんな暇があるのなら「南京の真実」を以下略)映画を見ないでテキトウに批判する風潮(産経と週刊新潮が今のところ他の追随を許さず独占状態のようですな。いやしばらくしたら某宗教関係紙が参戦するかもしれないけど)に真っ向から立ち向かうかのようにあえて「NO!といえるニッポソ」*2とばかりに「見てもさっぱりわからない」という新境地の開拓に挑んだらしい。まあなんだ、産経的には「ほれみたか!見た人間だって内容が問題だって思うんだバーカバーカウェーハッハ」とやりたかったんだろうが、毎度毎度の事ながら思いっきり墓穴を掘る結果となっているのが実に「いかにも産経」というかなんというか。

【正論】再論「靖国」 ノンフィクション作家・上坂冬子

 ■90歳刀匠への言論イジメか

 話題の映画「靖国 YASUKUNI」を見た。

 日本弁護士連合会主催で試写会が行われるというので、往復はがきで申し込んだら「当選」の連絡があったのだ。

 弁護士会としては表現の自由が侵害されてはならぬと企画したものだという。たしかに監督は日本の首相の靖国参拝にクレームをつけた中国出身の人だから、トラブルを警戒して上映を自粛した映画館がある。

 会場につくと入り口で民放の男性から、何故この映画を見にきたのかとコメントを求められた。すかさず「見たいと思ったから」と答えてすり抜けたが、見ないうちから何故きたかと聞かれて答えようがない場合は答えないのが表現の自由というものだろう。

 結論からいうと、この映画は私には老人への言論イジメにさえ思われた。いまも名刀を打ちつづける90歳の矍鑠(かくしゃく)とした刀匠の応答が柱になっていて、答えたくないことを強いられている印象を受けたからだ。

 画面はまず敗戦の日に旧陸海軍の軍服を着て靖国に参拝する人々の様子から始まるが、それが終わると老刀匠が現れる。監督はこの厳粛な雰囲気で靖国刀を作るのはどんな気持ちか、戦争中はどう思って作ったかというような質問を、たどたどしい日本語で聞く。刀匠は穏やかな表情ながら無言であった。

 かつて靖国刀として8100振りの刀が靖国の境内で作られ将校の手に渡ったという解説が字幕で入ったから、観客には監督の意図が手にとるようにわかる。監督は「覚えていることだけでもいいから」と執拗(しつよう)に刀匠に問いかけたが、刀匠は淡々として最後まで見事に無言を貫いた。

 ≪無言の老人を執拗に≫

 これでいい、長々とカメラを向けられながら一言も口にしなかった刀匠を映し出しただけでも、この映画は上出来だと私は好感を持った。

 これ以上は観客の忖度(そんたく)に任せるのが表現の自由というものだろう。

 画面は変わって「小泉首相を支持する」と首相の靖国参拝を讃(たた)えたプラカードを持った陽気なアメリカ人が、星条旗を掲げてビラを配ったのを警官に注意されてションボリ去っていく姿を映したり、境内で行われた戦後60年大会で聴衆に挨拶(あいさつ)した人を後ろから羽交い締めにしかけた2人の青年を映し出したりした。彼ら2人が中国人だと分かるや「とんでもねぇ奴(やつ)らだ」と群集の声が高まり、ついに顔を傷つけられた青年が「私たちはこんな傷でひるむものか、日本の侵略を訴えつづける」といいながら救急車にのせられる様子など、息をのむ場面がつづく。

 そのあと監督は再び刀匠を訪ねている。

 「日本刀は戦場で役立つのか、刃がこぼれたりしないか」などという質問に、ここでも刀匠は答えることなく、身辺の藁(わら)を指して「濡れた藁束で試し斬りをしている」といい、「藁の芯には青竹を入れる」と補足した。

 途端に監督は「竹を骨にするのですね」「人の骨として」とダメ押しするように繰り返す。刀匠は苦しげに「昔は囚人を斬ったらしい」とだけ呟いた。

 ≪肝心な問いに答えず≫

 肝心な点は靖国刀を日本文化の粋とみるか武器とみるかにあろう。だが、監督は追い討ちをかけるように、戦場で何人斬ったと競い合う話を聞いたことはないかと問いかけた。画面に現れた“百人斬り”を連想させたことはいうまでもない。刀匠は「そういうこともあったかなぁ」というのが精一杯である。

 これだけではない。監督が3度目に刀匠を訪ねたとき、刀匠は監督に「あなたは靖国問題をどう思うか」と問いかけた。当然のことながら答えはなく結局、刀匠はここで、「私の考えは小泉首相と同じです。国のために命を捨てた英霊に対して祈りを捧(ささ)げたいし、二度と戦争などないようにと祈る」といっている。終わりに近づいたころカメラは仕事場の隅を写した。好きなカセットを聞かせて欲しいという注文に応えて刀匠が流したのは、オリンピック開会宣言など昭和天皇の肉声集である。このあと刀匠が「お茶も差し上げませんで」といったのは、帰って欲しいという日本的シグナルだろう。

 靖国問題への賛否をならべたテレビの討論会さながらに観客を興奮させた点で、映画は成功したといえよう。だが、刀を文化とみるか武器とみるかはズレたままである。

 最後に刀匠が声を張り上げて歌った詩吟の一節が、

 「♪容易に汚す勿(なか)れ 日本刀」だったのは、なんとも皮肉であった。

 (かみさか ふゆこ)
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080425/tnr0804250256000-n1.htm

当然のことながら一応私も同じ場所で同じ映画を見ているハズなのだが、それにしても、ここまで私と上坂氏の映画に対する印象が違うとまるで別の部屋で同じ名前の違う映画を見ていたようである。わたしゃだまされちゃいねえでしょうねえ。文章全体に誤謬が巻き散らかされている上、なにせ、どう見ても「いじめ」とは思えなかったし。 以下引用を交えながら疑問点を列挙していく。

  結論からいうと、この映画は私には老人への言論イジメにさえ思われた。いまも名刀を打ちつづける90歳の矍鑠(かくしゃく)とした刀匠の応答が柱になっていて、答えたくないことを強いられている印象を受けたからだ。

 画面はまず敗戦の日に旧陸海軍の軍服を着て靖国に参拝する人々の様子から始まるが、それが終わると老刀匠が現れる。監督はこの厳粛な雰囲気で靖国刀を作るのはどんな気持ちか、戦争中はどう思って作ったかというような質問を、たどたどしい日本語で聞く。刀匠は穏やかな表情ながら無言であった。

 かつて靖国刀として8100振りの刀が靖国の境内で作られ将校の手に渡ったという解説が字幕で入ったから、観客には監督の意図が手にとるようにわかる。監督は「覚えていることだけでもいいから」と執拗(しつよう)に刀匠に問いかけたが、刀匠は淡々として最後まで見事に無言を貫いた。

なんといいますか、まず冒頭からして違うんですけど…。私が見た映画は、刀匠がはかま姿で登場し、腰差した刀を抜き、上から振り下ろす一連の動作を何回か繰り返すシーンで始まる。結構このシーンが長く、そして刀匠へのインタビューに移る。(と思った。私は「最初から右翼参拝のシーンで始まるんじゃないのか」と少々驚いた記憶アリ)そしてこのインタビューシーンが困ったもので、録音状態が悪いのか、音響設備の整ってないところでみると、聞き取りづらいことこの上ない。監督はたどたどしく、刀匠もお年ゆえ口跡朗々というわけにもいかず、なにをいっているのかわからない箇所が多い。とはいえ、当然のことながらまったく聞こえないわけではない。なので「刀匠は淡々として最後まで見事に無言を貫いた。」といいますが、「さあてねえ…忘れたねえ…」と穏やかに笑いながらつぶやくことを無言というのならば、世の中はずいぶん静かなことで、という嫌味はアレだけど、まあ上坂先生も御年を召しているから単に聞こえなかったということだけではないでしょうか。基本的に低予算ドキュメントは録音状態が悪いことが多いので、いい補聴器つけてから映画を見たほうがいいよ、と俺ちゃんから冬子先生へ華麗なアドバイス*3話が横道にそれたが、靖国神社の神門がひらき、右翼?が旗もって参拝するシーンは確かインタビューシーンのあとだった気がする。時系列としては、刀匠登場→素振り→インタビュー→字幕→右翼参拝シーンといった具合だったと思うのだが、間違いがあったらスマンですたい。

そして大笑いするしかなかった事実捏造の噴飯箇所はこちら。

境内で行われた戦後60年大会で聴衆に挨拶(あいさつ)した人を後ろから羽交い締めにしかけた2人の青年を映し出したりした。彼ら2人が中国人だと分かるや「とんでもねぇ奴(やつ)らだ」と群集の声が高まり、ついに顔を傷つけられた青年が「私たちはこんな傷でひるむものか、日本の侵略を訴えつづける」といいながら救急車にのせられる様子など、息をのむ場面がつづく。

私の見た映画には「挨拶(あいさつ)した人を後ろから羽交い締めにしかけた2人の青年」なんて登場しませんでした。一度見ただけなんで曖昧な記憶で恐縮ですが、君が代斉唱しようとした際に左翼青年(どう聞いてもネイティブなしゃべり方からおそらくは日本人と思われる)二人が、仮設舞台下の、観客席との間付近に乱入し「公式参拝反対!」「戦争反対!」と叫んだんだが、その後(これは後でUPする観想にも詳しく書くけれども)右翼?か日本会議関係者かわからないけれども、何人かによって脇の木立の中へ引きずり込まれ、首絞めとも見まごうヘッドロック英霊にこたえる会謹製の「愛国Tシャツ」を着用した男にかけられ、ヘロヘロになった彼らを水色のリュックを背負ったおっさんが「とんでもねえやつだ!中国へ帰れ中国へ!」(×1秒間に10回連呼。まさに飯田橋駅を孕ませる勢いだぜ…)と叫びながら追いたて、他の参拝客だか関係者だか右翼だかわからない連中に出入り口のそばへ追い詰められ、警察がまあまあと介入するもむなしく、殴りつけられ顔面血だらけにするのが、くどいですが私の見た映画です。また私の見た映画では左翼青年が救急車に乗り込むのを拒否して(そう青年が乗り込むのは救急車ではなくパトカーなのです)訴えかける言葉が

「私たちはこんな傷でひるむものか、日本の侵略を訴えつづける」

             ↓↓↓

「こんな傷でひるむものか、日本の侵略戦争、戦争責任を訴え続ける」

という風に聞こえましたです。まったくなにが「日本の侵略」だよ、中国人であるという思い込みで見てるからこうなるんだよ。

 「日本刀は戦場で役立つのか、刃がこぼれたりしないか」などという質問に、ここでも刀匠は答えることなく、身辺の藁(わら)を指して「濡れた藁束で試し斬りをしている」といい、「藁の芯には青竹を入れる」と補足した。

 途端に監督は「竹を骨にするのですね」「人の骨として」とダメ押しするように繰り返す。刀匠は苦しげに「昔は囚人を斬ったらしい」とだけ呟いた。

ここで上坂センセイは肝心な箇所を、あえてかド忘れしてかはわからないけれども(いや私の見た映画とは違う映画を見た可能性もある)抜かしている。この「監督がダメ押しするように繰り返す」前に刀匠は藁人形を指して「これホリョの代わりね」というのだ。私は「え!?ホリョって捕虜のこと?」と思わずケツを3mmぐらい浮かしかけたが*4、受けた監督が「ああホネ」「ホネを芯にして…?」と確認するように尋ね、刀匠も「ああそうホネホネ」と笑って終わりになる。たぶん監督が問い直したのは、「ホネにする」という意味が単純にわからなかっただろう。私も「ホネの代わり」なんていわれたらたぶん聞きなおすと思う。意味がわからないし。でも「捕虜」といわれたら…もしかしたら聞かなかったフリをしてスルーするかもしれないけど。

問題はそんだけじゃなくて、「苦しげに」とか画面上一度も現れなかった刀匠の様子を書き記す不思議さなどもあります。確かに刀をうつシーンは苦しそうだったけど。 でももういいや。妄言に付き合っても時間の無駄という気もするし。

とまれ、まあ全編印象操作に励んでいることはよくわかる文章でした。ていうかほんとに私の見た映画は「靖国 YASUKUNI」だったんだろうか?ガクブル。

*1:黙然日記さんを参照http://d.hatena.ne.jp/pr3/20080424/1209040998

*2:常々私は「彼ら」(あえて特定せず)が居住するニッポソという我々の住む日本という国ではないアナザーワールドがあるような気がしている

*3:上坂冬子センセイみたいな方が低予算ドキュメント(録音状態悪し)を見ると、天の声が聞こえたり違うものが見えたりするから要注意。つーか個人的には北方領土デモのときの正論のように「何で年寄りにやさしい映画作りをしねえんだ!字幕つけろゴルァ」って事を書くかと思いきや、まー、そんなことを書けば記事に信頼性に問題がでるのでたぶんやめたんだろうな

*4:他の人がどういう風に聞こえたのかとても気になる。私だけ天の声が聞こえていたらどうしよう。