みっともない人

しばらく玄倉川さんのところで名も知れぬ人とやりあっていた。

玄倉川の岸辺

死刑は「四審制」
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/45460add49a21024e114e76554c05c8c

ここのコメント欄のpara bellumさんという人ですね。
私の意見のなにがこの方の琴線に触れたのかはわからないけれども、意味のわからん「学術用語としての死神」などという言葉(民俗学的意味合いでの死神、ならまだわかるが)を唐突にだしてきているのを見るにつけ、なんとなくだが、インテリ嫌いという気がする。(私がインテリだとは毛ほども思っていないが。あくまでも彼の中での仮想敵としてのインテリである)反論もちょっとググって調べてきたようなものばかりなので、あんまり読書が好きでない方かもしれない。

で、まあガチの人の多くがそうであるように、この人もまた、こちらがいくら実例を出してもアーダコーダと徹底的に人の揚げ足しか取らない。そして自分の論拠とする例はださない。これでは先にコメントをしていた名無し氏の方がまだマシである。(正しいか正しくないかを別にして)お多福というかの人が考えうる限りの最良であるという実例をだしてきているのだから。

こういう揚げ足取り系の人は、揚げ足取りが反証になると思っているらしい。しかし自ら拠って立つ論拠を明らかにしないことには単に「お前の意見は受け入れられない」というダダをこねているに過ぎないことを理解したほうがいい。意見というのは人の揚げ足取りではなく、「なぜ自分がそう思うのか」をきちんと明らかにしなければ意味がない。私の意見をいくら否定しようが、しかもその否定が単に自ら実例を示せない「揚げ足取り」である以上、私がいなきゃ自らの論の正当性をアピールすること自体できないことになってしまい、つまりそれなんてトートロジー?ということになってしまう。そういうすなわち「お前の意見は気に食わない」といいたいだけの自分の意見をださずに、自らの論拠を明らかにしないようにして相手を論破?しようとするとこのように、揚げ足取りに徹し、なにをいいたいのかさっぱりわからないという不毛きわまるやり取りに終始するということになり、結局無理やり論破しようとして破綻していっているのに気づかない間抜けな状況となる。みっともねえな。

でもこういう光景ってどこかでみたなと思ったら、Apemanさんのところなんかでよく見る「南京大虐殺否定派」の人々でした。似ているなあ。そして、恥ずかしくないのかね?情けないねえ。