関連して「在日」の方とお話したときのことを

先日はじめていわゆる在日の方(朝鮮学校に通っていた)と直接お話しする機会があったのだが(外国人登録証をはじめてみた)「2ちゃんなんかで“工作員”だの“売国奴”だのとかかれているのをみると、お前らそれいつ知ったと思うんだよねー。こっちはもう小学生の頃から知ってるから」と笑う姿に私も爆笑したんだけれども、同時に、ねぶけえなあという思いも抱いた。結局のところ私の友達の沖縄出身者(家族をひめゆりで亡くされている)についてもそうだけど、私にはそのような相克する感情を理解することは究極的にはできない、というか理解できると思うほうがむしろ傲慢なのではないか、という気すらする。大事なのはそういう「感情」に寄り添おうとする意志、そこなのではないか、と。

※理解したいけど理解できないというジレンマ的なものについての言及です。はなから理解する気がないってのは論外。