産経の波状攻撃(笑)と対抗的言説について
産經新聞が衝撃の長尾発言(笑)に続き、今度は園部元判事を引っ張りだしてきました。(個人的にはこれで打ち止めって感じがするけどなーあとは長尾センセとモモチンの使い回しになりそう)
「政治的配慮あった」外国人参政権判決の園部元最高裁判事が衝撃告白
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100219/plc1002190020000-n1.htm「外国人参政権判決は金科玉条ではない」園部元判事の証言要旨
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100219/plc1002190026002-n1.htm園部元判事証言、外国人参政権推進派には大きな打撃
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100219/plc1002190023001-n1.htm
どこかの暗黒の新風面に堕ちた教授とは違い、やはり園部先生自身はきちんと「ただ、園部氏は永住外国人への参政権付与は合憲との立場は崩していない。」という姿勢はみせていますね。長尾先生のように「違憲だよ!(その根拠たる法学的/憲法学的)理由はいえない」なんて真似はしないところに法律家としての良心を感じると言えば感じるかな。(ましてや「論文を書いて提出する!」といって音沙汰なしの上、出したと思ったらコラムなんていうテイタラクなんてねえ)なので結局産経としても「政治的配慮」だのといった言葉でごまかすしか無い。どの法学者も「法学的にも違憲なんですよ」という産経が望む解説(ももちん以外カビの生えた禁止説を唱えてくれないからね)はしてくれないのがお気の毒ではある。
ここからはいま考えていることのメモ、ということで。
個人的に驚いたのはあの長尾教授の「お茶濁しコラム」で「家族会議に友人が〜」という例えがでてきたこと。誰が流したんだか知らないが「@外参権反対」の人がよく使うレトリックなんだが、一見「わかりやすい」ので「そうだそうだ」と飛びつきやすい。
そこで(ある方がおっしゃられた言葉をお借りすると)「対抗言説」的なものが必要となってくる。
こうした一見「わかりやすい」(がそもそも前提が決定的に間違っている)レトリックは、その「わかりやすさ」によって多くの賛同者を獲得しやすい。このレトリックを「最初に考えた人間」はやはり頭がいいと言わざるを得ない。(とりあえず大学教授まで「ノセる」ことができたんだから)
永住外国人の地方参政権問題において賛成派の、賛成する理由はさまざまだが、反対派の理由はだいたい一致している。悪い意味で。賛成派は(推進派でもない限り)「それぞれの理念」に基づいて賛成しているわけで、行動を起こしてまで「推進」しようとはしてないところが多々あるため、結果的には反対派の声におされやすい。(ネトウヨや@外参権反対なみんなたちはここがわかっていない。賛成派≠推進派なのですよ)よってここで効果的かつ魅力的な対抗言説をださないと上記のような誤ったレトリックがただコピペ拡散されていくだけになってしまう。
「永住外国人の地方参政権問題」を「家族会議に友人を招くようなものだ」と例える事にどんな問題点があるのか。
まず「家族会議に友人」と言う場合、この「家族」が「日本国籍を有する有権者」に該当し、「友人」が「永住外国人」ということになるのだろうが、(個人的にはこの「家族」という設定そのものが非常に気持ち悪く、無意識の価値観の押し売りを感じ、「お前なんかと家族じゃねえよ!」と叫びたくなるがそれはさておき)そもそも「永住外国人」は「友人程度」の意味合いでしかないのだろうか。この「友人」というレトリックには「深い関わりのない」という印象づけさらに言えば「利害関係のなさ」を受け手に与えるんだが、永住外国人は「法務大臣から許可を得」「税金を支払っている」存在であり、「利害関係がない」「特段の関係性が無い」といえるのだろうか?むしろ「マンションの管理組合」や「町の自治会」に例えるほうが適切と言えるだろう。(mixiニュースについた日記に「町の自治会」に例えている方がいたな)もし「家族会議に友人」を用いるならば、せめて友人の前に公的には認められてないが私的(あるいは法律的にある程度関係性が認められている)「内縁関係」をつけるべきではないか。「家族会議に内縁関係にある人を呼ぶ」とか。なぜならばその「友人」は既に「法務大臣の許可を得た」永住者なのだから。
むしろマンションの管理組合の会合における「所有派」と「賃貸派」みたいなものじゃないかなんて意見を頂いた。私としてはこちらに近い。だからこそ「管理費どーしよー」みたいな「会議」に参加するのはなんら違和感がないと思うんだが。