ちょっと前のkkkデンパ正論だよ

アカヒーもkkkも一日一回はどこかでデンパ発信しておかないと、体が痒くなる病気にでもかかっているのか。そう思うぐらい毎日どこかしらで爆裂してくれている。ウレシイネ。

そういうわけで旧聞だが7/17kkk「正論」より。

【正論】帝塚山大学名誉教授・伊原吉之助 私たちに敵と戦う用意があるか
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070718/srn070718000.htm

とにかく最初ッから最後までイカシているから、どこから引用していいのか困ってしまう。小見出しからして≪昭和と平成の敗戦≫なんぞ、読者対象をどこに絞っているのか丸分かりだ。さすが分かりやすい新聞、kkk

≪昭和と平成の敗戦≫
 人生は、戦いと相互扶助から成る。どちらか一方だけでは人生が完結しない。

 幕末、砲艦外交によって開国を迫られた日本は、旺盛な闘争心を秘めつつ、国家の生存発展に努めた。ところが日露戦争に勝って安全を確保したとたんに国家目標が曖昧(あいまい)化して闘争意志を弱め、守勢に入った。その間、官僚制が跋扈(ばっこ)し、国家戦略が曖昧なまま受け身の戦争を繰り返した揚句、敗戦を迎えた。

「受身の戦争」なんて愚か者には脳裏にかすりもしない言葉を作り出す造語センス。そこにしびれるぅ!あこがれるぅ!おじさんビックリして鼻毛とびでるぜ。受身のまま繰り返すっていう言葉を額面どおりとると、侵略者と戦い続けてきた耐え続ける俺達日本臣民だ!ってノリなんだが、こりゃ違うよなあ。どういう意味なんだろう。著者以外には皆目検討もつかない気がする。脳内完結しているところは「男は黙ってサッポロビール」背中でわかれってことなんだろう。昭和だなあ。

 戦後、戦争を放棄して米国の保護下に甘んじてきた。占領軍の日本弱体化憲法を独立回復後も後生大事に守り、男の子に「戦争ごっこ」を禁じて、野性の発散昇華の機会を奪い、女性は結婚相手に「優しい人」を望んで男に「勇ましさ」を発揮させなかった。戦後、復興から成長へ経済一本槍で突進した日本は、企業戦士として他企業と戦うほかは争わず、男は軟弱化・中性化し、国益追求のための闘争を、政府も官僚も政治家もしなくなった。

郵便ポストが赤いのも、みんな女が悪かった。それにしても戦争ゴッコを禁じたから軟弱になったってそれなんて細川隆一郎?つーか「企業戦士として他企業と戦うほかは争わず」っていうけど、じゃあどうすりゃよかったの?ベトナムいってベトコン殺しまくったらいいわけ?こんな勇ましいことをいってる御仁ならさぞや戦争で武勲を…と思いきや、なんだプロフィールを見る限り、ボクら愛国少国民世代ではないですか。昔からの思想を堅持するとは意思堅固なんだな。俺ら昭和末期世代からするとウラヤマしい限りです。それはさておき次。

 『国富論』で有名なアダム・スミスは、国家の基本任務を3つ挙げる。外敵防衛・治安維持・インフラ整備。経済では国家は審判役に留まる。これをラッサールは「夜警国家」と揶揄(やゆ)したが、国家の基本任務の指摘として鋭い。だが戦後の日本は、国防も治安維持も情報の収集分析もおろそかにしてきた。専守防衛を任務とする自衛隊は、法制不備のため自衛さえできず、デモ隊からは警察に守ってもらわねばならぬ状態で放置されてきた。防衛省の中枢は警察官僚が握ったままである。

 私たちが銘記すべきは、政府の存在根拠が国民の保護と国益追求にある点である。その任務を放棄したり、外国に委ねたりしてはならない。「天ハ自ラ助クル者ヲ助ク」

こういう人って理論補強にアダム・スミスだのなんだのって必ず持ち出すけど、自分の結論とは全く縁もゆかりもないことに注意。ようは古今のエライ人をもってきて「ほら俺と同じことを言ってるだろ」ってことなんだろうけど、いまさらなあ。ネット全盛の世で丸のまま信じろっていうのもイカプロパガンダですよ。デモ隊から自衛隊をって下りも不思議。デモ隊と自衛隊がガチンコ勝負したことあったかな。ざっと調べた限りではそういう記述は見つからなかったけれども。まあ小生は勉強不足な人間なので、もしこういうことがあったと事例ご存知な方は教えてください。お願いします。

≪強い人こそ優しい人≫

 私たちの先祖は実に素晴らしい国をつくってきた。その日本を「悪い国」と教えた戦後教育は、根本が誤っていた。間違った教育を刷込まれた日本人が増え、無責任がはびこっているが、人を育て損ねた報いである。日本弱体化を狙った占領政策と、反体制派の日本の国体破壊工作が日本の権力構造の中枢にまで浸透していたのだ。

 最近、やっとその是正の動きが出てきたが、まだまだ戦後価値観が跋扈していて、その壁は突破できていない。「尊敬できる日本人」は期待できるほど多くはない。

 尊敬できる人とは、外見上は「背筋をピンと伸ばした人」、内実では「得たものの半分以上を人に分け与える人」、そして何より「社会正義のために戦う人」である。具体的には、日露戦争の“軍神”広瀬武夫のような爽(さわ)やかな人を想起されよ。

 戦うには相手がある。自分の究極の相手は、自分自身である。自分の怠け心、安逸を求める心、現状に満足する心等々。武道とは、相手に勝つ前に自分の弱さを克服するための道であった。だから寒稽古そのほか、厳しい修行が要(い)るのである。「君はそのままでいい」などという現状是認は、克己心を眠らせ、抵抗力を奪う悪魔の囁(ささや)きにほかならない。坐禅や静坐、瞑想(めいそう)も克己に役立つ。

デンパは続くよどこまでも。どうもこのセンセイは主観をただ述べれば論説になると思っているようだ。客観的なデータが伴わないセンセイのお話がただただ続くとこちらも目が文字の上をツルっと滑っていくだけっす。「間違った教育を刷込まれた日本人が増え、無責任がはびこっているが」って何についてなのかがわからんちん。こういう風に書くと「最近のアレコレ」とやれ「赤ちゃんポスト」だの「学校出産」だのという事例を得意げに書くやつがいるか、例えば戦前と比べてどの程度増加したのか、諸外国と比べてはどうか等々、そういう話がない限りは、最近脳のお洗濯はしてますか?と脳内決定事項扱いされるだけである。おそらくセンセイは「美しい国」なんかのフレーズも大好きだろう。「美しい」だの個々人の人生状況その他によって容易に左右される主観に基づいた蓋然性のあるテーゼを用いても、それ人そぞれの基準についてご高説拝聴するばかりで、なんの実現性もないのだ。オッサンの「尊敬する人間」はそうかもしれないが、俺は違うよ、ただそれだけの話で、どうしてアンタと同じにせにゃあかんのよ?そしてイマサラ「広瀬武夫」(尊敬するなら正字で書いてやれ「廣瀬武夫」と)。爽やかっていわれてもなあ。

 ≪美と崇高への献身≫

 ジェイムズ・ヒルトンは、『チップス先生、さようなら』で19世紀から20世紀への転換期にパブリックスクールで教えたチップス先生の悲哀を描いた。「チップス先生の知識の大部分は時代遅れで生徒に無益のものだ…」

 確かに知識は陳腐化する。だが人生には、変る部分と変らない部分がある。人間の生き方には古今東西不易の部分があり、だから古典が今も味わうに足る教養となる。

 人生の変らぬ部分とは伝統であり、価値あるものを子々孫々に伝える作業である。改革とは、伝統を保持した上でなされる部分的手直しに過ぎない。

 日本が子々孫々に伝えるべき伝統とは何か。天皇に象徴される美と崇高への献身である。天皇の主要任務は、五穀豊穣(ほうじょう)と民生の安定・繁栄を神々に祈ること、および和歌や礼楽に代表される学芸に励むことであった。古代から現代まで、天皇はこの任務を果してこられた。

 美と崇高への献身こそ、保守主義の神髄である。それ故に、戦後の価値観はここを直撃した。天皇の影を薄くし、気高さを笑い飛ばす。高邁(こうまい)な精神への軽蔑(けいべつ)と無視。低俗礼賛。金儲け一辺倒。

 日本の良き伝統は、幸いまだ保持されている。戦後の呪縛(じゅばく)を解き放ちさえすれば、それは目覚める。

 憲法を含む占領下の法律一切を無効化すれば、日本の良き伝統はたちどころに活性化するのである。

「低俗礼賛。金儲け一辺倒。」って書いてあるその少し上のリンク先のZAKZAKなんて「12歳のアイドル」と称し未成年のビキニ画像なんかだしてますけどkkkグループの低俗は、綺麗な低俗なんでしょうか。まさに「ぼろぼろなだてう」(by高村光太郎)状態のキチノスケ先生。3kよ、もう止せ、こんなことは!(←嘘ですやめたらデンパヲチできないから頑張ってください)