祭りと選挙と断末魔と

さて本日の産経showですが、なんだか熱でも有るんじゃないかと心配になってくるオデキ。いやここのところずっとこんな調子だから発熱もへったくれもないわけですが。

産経抄
 浅草の「三社祭」で、またも御輿(みこし)の上に乗って騒ぐ不逞(ふてい)の輩(やから)がいた。怒った浅草神社は、来年から最終日に本社御輿を出す渡御をやめにしたという。御輿は「神輿」とも書く。神体が乗る輿なのに、その上に乗るなどご神体を踏みつける行為に等しい。

 ▼祭礼が本来の意味を放棄すれば「祭りの自殺」である。選挙も祭りと同じで、候補者という御輿とその担ぎ手がいる。いまの参院選衆院の争いに乗っ取られて、本来の「高い立場で国政を論ずる」ことを放棄してしまえば、それもまた「参院の自殺」だ。

 ▼参院は「衆院カーボンコピー」といわれて久しい。参院の審議は、衆院の“後追い”ばかりだからどうしてもコピー化する。でも、参院の議員候補は気をつけた方がいい。参院選衆院側の醜聞を借りて戦えば、コピーどころか衆院に活躍の場を収奪される。

 ▼争点は政治とカネなのだという。「なんとか還元水」で自殺した前農水相も、事務所費問題の新農水相もみんな衆院の方々だ。年金の記録漏れとても、こちらは官僚のズサンな管理問題であり、職員組合の過剰な権利意識の問題だ。それなのに、参院候補から財源も含めた年金改革の全体像が聞けない。

 ▼参院は解散がなくて任期は6年もある。欧米なら2〜4年で改選される下院に対して、天下国家を論じる上院にあたる。本来の役割を忘れれば、参院軽視から参院無用論まで、幅広くその存在意義が問われることになる。過去に、民間団体が「参院廃止」を打ち出したことをお忘れか。

 ▼そうはいっても、衆参を問わず政治家は有権者のコピーにちがいない。幸か不幸か、彼らは私たちの中から選ばれた。だが、三社祭の渡御はやめられても投票をやめるわけにいかない。

(2007/07/26 05:01)

うーむ。この爆裂っぷりを前に、なにをどういってよいのやら。とりあえず論調がこのnikkeiBPの記事と似ているぞ!それにしてもいったいどこの世界に『選挙も祭りと同じで、候補者という御輿とその担ぎ手がいる。』という一言で、三社祭参院選を連結させられる人がいるんだろうか。豪快なクロスカウンターがキメられるのは産経だけ!って前も書いたような書かないようななんちゅうか本中華。そんなことはどうでもいいんですよ!とムシムシ暑さで脳がぐんにゃりしていることはナイショだ。まあなんですか、御輿なんていわれると「おやっさん御輿やないの?」って実録東映やくざ映画55年体制木曜くらぶなわけですが、それにしてもこの文章力の劣化具合はどうしたんだろう。かばってもかばいきれないろくでなしに尽くすのもさすがに嫌気がさしてきたのか3kサン。

さて、気になった点を何点かピックアップ。

参院選衆院側の醜聞を借りて戦えば、コピーどころか衆院に活躍の場を収奪される。

醜聞ってアータ。年金問題、消費税率引き上げ、定率減税廃止、ホワイトカラー・エグゼンプション導入その他、それは実際の出来事で「その人の名誉や人格を傷つけるような、よくないうわさ。評判」(大辞泉より)じゃないっすよ。なんかもういろいろ幻に見えているのか思えているのか。気を確かに持て!

年金の記録漏れとても、こちらは官僚のズサンな管理問題であり、職員組合の過剰な権利意識の問題だ。

ということだが、それって歴代の社保庁長官には問題がないということをいいたんだろうな。なにせ菅直人のせいにしようとしたら即座におめーはどうなんだって返されて引っ込めたぐらいの弱腰だし。相変わらずのジチローと無能官僚のせいだ!せいだ!と掛け声だけ意気軒昂でもちゃんとお囃子にあった掛け声しないと浮いてうるさいだけざんす。
最後に

▼そうはいっても、衆参を問わず政治家は有権者のコピーにちがいない。幸か不幸か、彼らは私たちの中から選ばれた。だが、三社祭の渡御はやめられても投票をやめるわけにいかない。

って「幸か不幸か」以下からつなぎがよくわからなくなっている。日本語すらアヤシくなっているぞ大丈夫か!?中の人の心情を察して読む新聞、それがkkk新聞です。とまれきっと今日の産経showの主張としては「御輿の上に乗っている勘違い野郎を引き摺り下ろせ!だから投票をやめてはいかんよ棄権しないでね」ということなんだろうチャンチャン。