知りたがるヒトビトなんて知りたくないの

でもってこのような腐れ日記を生暖かい視線も省みずせっせせっせと猿のナニ以下のスピードで日々書き連ねるハッパフミフミな俺ちゃんですが、まーなんだ、ヨボヨボのGーさんなもんで、小さい頃から「人にものを尋ねるときは態度ってもんがある」なんつってキビチク仕込まれたもんです。学校だってアレですよ、なかには聞き方が悪いと教えてもらえなかったりして。今じゃモンスターペアレンツがそんなときは怒鳴り込んで一点突破の全面展開を図ってくれるそうですが、いや悪い時代に生まれたもんだな。いまどきの若い人はいいねえなんっつって文章を〆てもジジイの懐古話なんて鼻毛以下の価値なんでも少し違う話になるからもうちょっと待っててねハニー。

最近いろいろとwebをずらずら見ていけば、どうやら当方すでに完全なる化石のようだ。質問するときの態度、教えをこう姿勢なんてものはもはや死語に近いらしい。聴いて当然、そりゃこっちは聴かれて当然だからして、10のうち9ぐらい教えておく。そのうちの1については調べるべきだし、そういう時はたいてい仔細に触れるほど時間をかけるようなテーゼでもなかったりするもんだ。基礎中の基礎の場合は特にそういう対応をする。それ以外は議論になりますもんな。まずはそれを調べてから言え、話はそれからだ。

ところが、そういう風に教えると、今度はそのあまった1に対してなんともあくロバティックな論理を開陳してくれる。酷いときは調べりゃいいのに、そのアクロバティックな超絶論理をもとにさらに質問してきたりする。こちとら馬鹿正直なもんで、そうなったとしても大概(そいつが頭に蛆がわいていると思わん限りは)その1はこういうことですよ、と教える。そこで引き下がってくれればいいが、そんな素直で性根がまっすぐな青竹のように清清しい人は鼻からそんな超絶論理を持ち出したりはしないので、その1からさらに全体である10を、これまたコペルニクス的転回に基づいた独自理論で解釈した上で、違うじゃないですか!?と激高したり、さらには前といったことと違うと責められたりする。あるいは「読みづらい」だの「わかりづらい」だの。てめえの思考力ががまるで世の中の礎となっているみたいな物腰だ。俺っちなんざ気が弱いから、そんな態度にでた日には、心臓の方が先に根をあげちまいますな。いや赤玉がでるだけかもしんないけど。

そういやネットをふらふらみていたら、上記のような粘り強い物腰で何度何度答えても不屈の闘志で蘇るまるでじょーじ・A・ロメロの例のアレみたいな方がいました。その方がついに「高みからものを言うような姿勢で」なんていったら、臨時教授はついに「だったら自分がその高みにまであがれ」とブチ切れですよ。そりゃそうだと膝をうったのはナイショにしてくださいませ。閑話休題

しかしそれすべてゆとり教育のせいだなんて大仰に構えるつもりは毛頭ない。ていうかまだ20代前ぐらいならぎりぎりありえるかもしれないがそれ以上ってなると…ゆとりのせいにしたほうがましかも。えーその、そもそも当方は開成かラ・サールから栄光の東京大学、輝ける京都大学の法学部を卒業し、あまつさえ現役のうちに国家公務員Ⅰ種試験ならびに司法試験に合格したわけではない。また、コリン・ウィルソンか(同じ本ばっかりだしてるけど)筒井康隆か(日本以外は全部沈没するけれど)小松左京か(イルカが死んで即興歌を作ったりしたけれど)はたまた南方熊楠(そういや町田康主演で作ってた映画はどうなった?)みたいな博覧強記でもないわけです。つーかそんな人間を期待しているわけでもなかろうが、とにかく期待されても困るのだ。

まあなんですな、こんなイカレポンチの下種でマトモな神経をしているとは到底思えぬ腐れ外道なンすから、そんなのにあれこれ万物の仕組みについて尋ねる前に、googleで文字入力して検索すれば即座に情報がわんさとわんさとでてきますよ。そのほうが自分の勉強になるし、なにより俺っちは学校で「人に聞く前に自分で調べたほうが身につくし覚える」ってなことを教わった。先人の教えは大切です。侮るべからずだ兄弟姉妹、若人やそうでないヤツも。そういうわけで、執念だけは人一倍だが物覚えについては反比例しちゃうひとはさ、騙されたと思って一度実行してみるといいと思うな聞く前に

根が鬼畜なんでレス返したいコメントにだけ答えるスタイルにまた戻るかねえ。