秦郁彦氏の「妄言」

別のブログでの話だが、よく私のところへコメントをくれた人がいた。彼のブログも熱血HR/HM野郎といった趣で大変好ましかった。最近更新しないなーと思ったら突然アフィリブログ(それも私はこの方法で一ヶ月年収100万以上稼ぐことが出来ました!みたいなかなりアレなやつ)へ変貌してしまった。コメントをくれていた頃の彼のキャラとまったく違うものだったから、何がどう間違ってこんなことになってしまったのかと当初はかなり心配したが、変貌したのではなくて、もしかしたら今まで見えてなかった彼の面がたまたま表に出てきただけなのかもしれないと思い直した。

前置きが長くなったが、元々腐れネット右翼のわたくしですので、藤岡信勝先生や秦郁彦先生には共感を覚えていた。持論の証明のためにコツコツと丹念に調べる姿勢には学ぶべき点が多いと思って敬意を抱いていた。赤い服を着た人が「認めたくないものだな、若さゆえの過ちというやつは」と私の耳元でささやくが、そうでもないよ。お二方のおかげで知った「歴史を自分なりに調べる作業」の楽しみは今も私の中にあるし。だが、そうはいっても、警備会社社員が忙しい業務をなげうって必死で数えた「沖縄県民大会」の人数を水戸黄門の印籠のようにほれみたことか沖縄県サヨクども!と勢い込んで得意そうに掲げている姿をみると、ああ藤岡先生…帰ってきてくださいと悲しくなるが、これも本来の先生のもっていた「面」なんだろうと思うようにしている。

秦郁彦先生も最近は悲しい姿ばかり目立つ。

沖縄集団自決事件を「尊厳死である」と新聞紙上でコメントしていたのを見た、との話を聞いたときはまさかそんなトチ狂ったことをあのセンセイが、と思ったが*1それをはじめ、ここのところ「妄言」が散見される秦先生の極めつけを見つけてしまった。それは以前読んだ秦氏の正論がさっぱりわけのわからない内容だったので(なぜこのハナシを書くのか、また、どうしてこういう経緯なのかもよくわからなかった。つまり酒場の愚痴みたいな記事だったのだ)気にはなっていたのだが、あるブログにその解説とも読解のヒントともいえる記事があり、それを読み、得心がいったと同時に、ひどくうら悲しい気になった。秦センセイも、遠くに行かれてしまった。

問題の記事は↓こちら。

【正論】再論・沖縄集団自決 良心の欠けた不誠実な弁明 現代史家・秦郁彦

http://sankei.jp.msn.com/life/education/071121/edc0711210331001-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/education/071121/edc0711210331001-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/education/071121/edc0711210331001-n3.htm

 ≪まるで「異界人」の説話≫

 大江氏は提訴直後の朝日新聞紙上で「私自身、証言に立ち…その際、私は中学生たちにもよく理解してもらえる語り方を工夫するつもり」と述べていたが、当日の尋問の相当部分は日本語の語義解説に費やされた。「ペテンとは」と聞かれて「人をだますことです」とか、「罪の巨塊」とは「英語のミステリーから借用したが、語源は他殺死体のこと。ラテン語では…(聴きとれず)」といったぐあいで、私の知力を総動員しても理解不能に終わった。

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』よりヒントとなった箇所を引用す。

曽野綾子の「誤読」から始まった。大江健三郎の『沖縄ノート』裁判をめぐる悲喜劇。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071118

たとえば、池田信夫を相手に曽野綾子曰く、

決定的だったのは、大江健三郎氏がこの年刊行された著書『沖縄ノート』で、赤松隊長は「あまりに巨きい罪の巨魁」だと表現なさったんです。私は小さい時、不幸な家庭に育ったものですから、人を憎んだりする気持ちは結構知っていましたが、人を「罪の巨魁」と思ったことはない。だから罪の巨魁という人がいるのなら絶対見に行かなきゃいけないと思ったのです。

(「SAPIO」2007/11/28)

この発言から、曽野綾子が、大江健三郎の『沖縄ノート』の何処の、何に、拘っているかがわかるだろう。つまり曽野綾子は、『沖縄ノート』の中の「罪の巨塊(罪の巨魁)」という記述部分に拘っているのである。

当日の裁判所で傍聴したわけではないので以下は私の推測だが、上記箇所を読み、大江健三郎が何を弁護したかったのか、それは「罪の巨魁」(罪の親玉=赤松隊長)ではなく「罪の巨塊」(罪の巨大な塊=死体か?)であると彼は主張していたのではないだろうか。阿比留記者が「赤松隊長をさしているのが明白にもかかわらず」云々と指摘しているのはこの「罪の巨魁」という誤読についてなのか。それならば知力の総動員もなにも「罪の巨魁」が誤読であり、そんな記述がないことを大江が述べる必要がでてくるのは当然である。なぜならば、「罪の巨魁」という誤読がある意味この名誉毀損裁判の根幹を成すともいえるからだ。曽野綾子の誤読を糊塗し、口をぬぐい、このような小手先のごまかしでこのあたりの経緯のわからない人間が秦郁彦氏の正論を読めば、「大江健三郎はナニをわけのわからないことを言っているのだ、法廷を愚弄する気か」と思ってしまうだろう。こういう悪質な騙しは、(このテのことをよくやる八木秀次にもいえることだが)仮にも学者と名乗るならば絶対にしてはいけないことではないのか。悪魔に魂を売ったも同然である。片方で人の痛みをとかなんとかいいながら、沖縄県民や戦争被害者への痛みに無関心であるのもダブルスタンダードである。

しかしながらここであえて告白すれば、こうして糾弾しながらも、どこかで私は、この私の「読み取り」が「誤読」であって欲しいとも思っている。「誤読」であり、秦郁彦氏の指摘がぜんぜん別個のもので、単なる私の無知蒙昧によるものであったのなら、とどこかで願っている。秦郁彦氏は私に歴史を丹念に追うことの楽しみを教えてくれた人だ。そういう人がこういう事態になってしまったよりは自分の愚かさからくる「誤読」であったほうがどれだけよいか。

とはいっても、最近の秦氏の言説には目に余るものがあるのも事実である。上記で誤読云々と縷々述べたが、でも私にもわかっているのだ。これも秦先生のある面が出てきたに過ぎないのだろう、ということが。しかし、どちらかというと私はいま、かこさとし「科学者の目」で紹介されている「恐竜」の命名者リチャード・オーウェンを思い出している。オーウェンは「恐竜」と命名し、科学的にも貢献の大きかった学者であったが、ダーウィンの進化論には強硬に反対し、また晩年は人の研究成果を自分のもののように偽ったりした人物である。上記本の記述から少し長いが引用する。

オーエン(原文ママ)はやがて博物館長になり、多くの書物を書き、古生物学者の第一人者となった。王室から別荘をおくられるなど、多くの名誉と自信にあふれたオーエンは、ダーウィンの進化論には頭から反対しつづけた。
かつて鋭く輝いたオーエンの目は、この新しい科学の光を感じとろうとしなかったのである。1892年オーエンは科学の流れにさからうすねた老人として豪壮な邸宅で、しかしさびしく死去した。
オーエンの生涯は、私たちに科学の発展の姿をおしえるとともに、科学者のきびしさを物語っている。科学者の目は進歩と発展を見出しうるよう、いつもくもりなくみがかれていなければならない。いかにすばらしい科学者であり、どんなにすぐれた業績をうちたてたとしても、その名声によりかかって努力をおこたったならば、古代の恐龍たちのように滅亡の運命がまっていることとなるだろう。科学者も、君も、私たちも一生が勉強なのである。

オーウェンだけではない。歩みを止めれば、待つのは退化だけだ。ああ秦センセイどこへ行く。悲しみは湧くばかりである。

*1:そういえば私の祖母がある病特有の症状がでたときに、さっき「郵便屋さんが来たよ」なんてマトモなことをいっていたと思ったら、その次にはもう「スパイダーマンが壁をよじ登ってきた」などとわけのわからないことをいっていたのを思い出した。まだらなんとかなどと失礼なことをいう気はないが、なんだか心配である