「勝手にブログ評論」は時として真実を鋭く突く。

南郷さんのブログにあったデムパな記事を見てさっそくやってみた。別にそれは南郷さんがもてる全ての能力をスパークさせ文明の衝突を起こした結果生まれた文章ではなく、勝手にブログ評論というジェネレーターにURLをぶち込むと適当に評論してくれるらしい。

勝手にブログ評論
土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。評論
およそ55年体制昭和ほど淑女を夢中にさせるものはない。
総合得点 98



このブログにおける結論は、「ネットウヨクがち公約書型社会を出現させる」ということに他ならない。それはバリバリデモ活動なのだと言える。紳士淑女は刮目して教育改革を見よ。であるならば、衆院解散がそんなに大事なら、ヒュミドールにでも閉まっておけば良い。結果論から言えば、コメント欄は良かった。それはなにかと言われれば、製作委員会である。自由党担当時代にコメントの相性は悪くない。どうだろう。ネトウヨは必要ないだろうか。テロリストが欲しているのはまさしくネトウヨなのだ。だれもが「阿比留ンクオリティ」事件を歓迎はするまい。

仮定の話ではあるが、内政面 は絶句するほどネトウヨらしい。オルセーのキュレーターがむき出しのネット上を眼にしたら、なにもいわずに顔を背けるだろう。ネットウヨクにとって大切なものは3つある。渡海紀三朗公娼制度、それに固定概念だ。女性の洞察力を侮ってはいけない。あなたがこっそり政治理念自体を愛好していることなどお見通しだ。では「靖国神社」化するとはどういうことだろうか。90年代を思い起こせば、様々な事件があった。「憲法違反」事件、それに「ネット上」事件などである。だれもが「靖国神社公式参拝」事件を歓迎はするまい。素晴らしいワインに極上のクリントン上院議員。それが教養というものの成せる技なのである。亀井善之天皇陛下はそもそも水と油だ。ボリビアの民族はイケメンを大事にするという。渡海紀三朗は到底実現不可能に見える。それはネトウヨなのだと言える。つまり「ネットウヨク」的見解には、もう飽きているのだ。
どんなにニューヨークを田舎呼ばわりしても、ネット右翼のない我々英国の人間にとってニューヨークは羨望の街となる。

確かにネトウヨにとって渡海氏と公娼制度と固定概念は大切だろう。そして亀井善之天皇陛下は水と油である。そのとおりだ。私はジェネレーターつまり人工知能に真実を教えられたのだった。しかし何故このブログが98点なのかは謎のままだ。