映画「南京の真実」珍作でも迷作でもなく単なる駄作
それにしても前の記事についていたコメントやはてなブックマークのも含めていえることですが、みんな好きだねえ「南京の真実」。なんですか結論から言えば、金払ってみる価値があるとかないとか以前の問題でした。今回私は一銭も払わずに映画を見たのだけれども、なんつーかなぜか「金をドブに捨てた」と思いましたよ。フツーに見ても駄目映画だし、プロパガンダ映画好きな俺ちゃん的視点でみても楽しめないしとなると、この内容で3時間弱は新手の拷問以外のなにものでもない。ルドヴィコ療法で使うといいかもネ!そんな映画的効果以外のオトク要素満載の「南京の真実」は、「セットをとにかく見て欲しい」(by水島総監督)が、肝心要の「南京大虐殺の真実」とやらについてはちっともあかしてくれないイケズ映画なのでした。しかしそもそもあれは映画なのか!?という根源的な問いはさておきまして、ではレビュー行きますわよ。
※以下ネタバレ全開ですので、映画を見に行く義務のある某宗教関係者や政治団体関係者、センノー済みのアレな方、もしくはモノズキな諸氏はお気をつけください。
ストーリーは「デス・バイ・ハンキング」をジャッジメントされたA級戦犯7人が、収容されている巣鴨プリズンにて「死刑執行を宣告されてから実行されるまでの24時間ほどをどうすごしたか」についてドキュメント形式*1で描くというもの。あれ?これのどこに「南京大虐殺」がでてくるの?と思われたアナタ!そうなんです「南京大虐殺の真実」については、松井石根が教誨師に独白するシーンの回想で触れられるだけ。羊頭狗肉というよりも壮大な構想をぶち上げながらもすぐに打ち切られて「俺たちの戦いは終わらないぜ!!」と捨て台詞をはくジャンプ漫画みたいな矮小化を感じる。「南京大虐殺説に終止符を打つ作品」「中共のプロパガンダに情報戦を挑む」等々勇ましい台詞をネットのあちこちで散見しましたが、どちらかというとチャンネル桜(+水島社長)に終止符を打つ作品じゃないですかねえ。とにかく低予算はまあいいとしても、「冗長陳腐意味不明」でQ.E.D.されちゃう出来ってどうよと思いましたわ。これで情報戦とやらを挑むにはまさに「某国のイージス」に竹やりで突撃一番するようなものです。しかも水島社長ただ一人で。
個人的には冒頭、のっけからぐりぐりとCGで動く国宝興福寺阿修羅像の上に「草奔崛起」(ボッキじゃないよ)の字がかぶさるシーンにまずぐっときた。この映画はただ事じゃない感がビシビシ伝わってくる。で、大きな満開の桜の映像。そこに現れる男女ペアの児童。振り向くと、なんか能面みたいなのをかぶっている。この時点で個人的には駄目映画確定。だいたいこういう意味不明なATGかよ!しかも羽仁進か!というような演出をですね、21世紀になって10年たとうとしているこの平成も20年の世にあえて問うことになんのメリットもまた芸術性も見出せないのですよ。しかも「南京大虐殺の真実を伝えたい」という目的で作られた映画なわけで、この辺もう独りよがりオーラが画面の内外へあふれてきている。そのあとは日本が受けた戦争被害・被害者たち(東京大空襲・ヒロシマ・ナガサキ。でも沖縄戦には触れなかったように思う)の凄惨な死体の映像が延々と続いて、ようやく本編にはいる。これからまだ三時間弱もある事実に気づいて心折られ椅子から崩れ落ちそうになるのだが、これも修行人生皆修行であると思い直して画面に向かう。
この映画の特徴は、とにかく死刑囚7人を平等に描く、ということである。死刑囚たちの遺言や時世の句を花山教誨師というお坊さん(演ずるはあの三上寛。お前むかし白いカルピスがどうのこうのといってたじゃねえかと遠い目)が聞き取っていくのだが、これが本当に全員の意見を平等に映し出すのだ。ほぼ同じ時間で。ただダラダラダラとフィルムをあるだけつかって撮っているようなシロモノなので緊張感も緊迫感も皆無。これがどれだけ冗長か。水島監督の手腕はパンダ物語で脚本経験があるとはとても思えないほどである。イマドキ大学の映画サークルでだってこんな脚本を書けば「主人公一人に絞らないことで、焦点が曖昧になり、ストーリーが散漫となっていく」と先輩から駄目だしされることだろう。おまけにその死刑囚が言いたいことを述べる場面ではカメラを役者の真正面に据え、インタビューのような演出をする。水島監督が花山教誨師に自身をなぞらえていることは、三上寛と水島社長がどことなく似ていること以外にも、この場面で画面の外にいると思しき花山氏が「そのときどうでしたか?」などという言葉を発する時点で丸わかりなのだが、それにしてもこの演出はどう考えてもナシだろう。そしてこの愚にもつかない場面のなかで唐突に松井石根が南京事件について回想する。あまりにも回想シーンが長いのでこのまま映画は終わるのかと思ったほど。ここで当時の東宝撮影班が映したニュース映像「南京」が使われ*2、そのキャプションで「こんな穏やかな顔*3をした南京市民が虐殺の被害に合ったとは考えられない」と説明し、劇中松井石根が「そんなことしてませんありえません」などと独白する。記録映画を見せて劇中人物に「してませんよ」と語らせる、これが否定か?「南京の真実」か?あまりのお粗末さに全米も失笑ですお。
水島監督の才気大噴火はとまらない。7人の死刑囚が死刑を迎える、そのシーンをまったく同じ構図・アングル(どこを切っても三上寛!)で撮影している。いやまあ映画全編にわたってそうといえばそうなんだが、とにかく死刑執行は4人組と3人組に別れて順々に執行されていく。まず東條を含む4人組が房から連れ出され、三上寛がじゅんぐりに酒を飲ませ、水を飲ませ、菓子を食わせ、三上寛が思い入れたっぷりな表情を画面にたぎらせ死刑囚ひとりひとりへじっくりねっとり挨拶し、死刑囚たちは天皇陛下万歳をし、執行台へむかい、刑場に入る直前でまた三上寛が「本当に最後のお別れです!」とまたさっきと同じように思い入れたっぷり(以下略)で、今度はさすがに万歳三唱をせず、粛々と死刑台の上に昇り、足元の板が落ちて吊るされる。一度ならまだ感慨も浮かぼうというものだが、それを二回も繰り返されるとさすがに刑場へ入る直前に三上寛が「本当に最後のお別れです」などと熱のこもった顔をした瞬間に「さっさとやれや!」と飯場のオヤジが乗り移りそうになりましたわいな。あまりにもシステマチックに描かれているので、かえって同情心や感傷的な気持ちが湧き上がらない。ここぞとばかりにマーラーの交響曲第5番第4楽章アダージェットなんぞが鳴り響くとあまりの類型的な演出にげんなりさはいや増すばかりだ。陳腐を通り越してなんだか物悲しくなる。
そして最もイカスのは、死刑執行が終わった執行台に三上寛が向かうとそこにはなぜかお能の格好をした7人がずらっと並んでいるシーン。いよーポンポンとかいったりして。(このシーンにおける三上寛のリアクションに妙なキレがあってたまらん)確かに眠気を覚ます効果はあるがこれはさすがにどうかと思うぞ。で、和泉式部の和歌を唄って消える。使いまわしの死刑囚ひとりひとりのお顔のオーバーラップとともに。そして刑場を飛び出した三上寛は暑苦しいドアップを画面上にバーンと晒した後「日本が…消えた…」と見得を切る。え!?日本の象徴はA級戦犯であって、天皇陛下じゃないってこと?とんでもない不敬映画の余韻を残し、遺体が運び出されるシーンやら興亜観音やら靖国の大鳥居やらまた例の子供たちが今度は能面をつけずに現在の巣鴨プリズン跡地へお参りするシーンで終了。いやあ我慢大会にしては苦痛すぎる3時間弱がようやくゴールを迎えたわけです。皆さんお疲れ様でした。
駄目な箇所はいろいろあるが、とにもかくにも常に固定されたカメラワークで、駄目な映画の基本中の基本「画面いっぱいの役者アップ」ばかりが続き、まさにフルサイズ中高老年の肉が脈打つメタボ画面。「動き」のメリハリがない上に判で押したように構図アングルともに同じシーンが延々と続く。まあ例に出すのも大人気ないとは思いますが、例えばクロサワの野良犬なんかだとただ主人公が雑踏を歩くだけのシーンでもアングル変え構図変えつなぎを小気味よくし観客を如何にあきさせないか、ということに対してこれでもか!と貪欲に追求している。翻って我が水島監督はいかにしてすみやかに観客を眠らせるかということに貪欲のようであるが。臨場感をだしたいのならば、死刑囚の日常をはしょって手持ちカメラ多用で「今ここで目撃しているような」緊迫感をだすか、死刑執行直前シーンをはしょってたたみかけるようなスピード感をだし、本当に最後のお別れのシーンをじっくり丁寧になめるように描くと感情移入がしやすいし観客の集中力も途切れることがないだろう。テンポとかリズムとかがまるでないと、見る気がドンドンと失せていくということを久しぶりに実感した。
脚本もキャメラも編集も駄目ならキャストも駄目だ。坊主姿を演ずるために生まれてきたような三上寛はまだいいが、なんと言っても凄いのは、東條英機演じる藤巻潤。最初なんでA級戦犯死刑囚の話なのに東條がでてこないのか不思議だったのだが、え…もしかしてあのでかくて肉厚で剛健なおっさんが東條…?と思わず眠気が覚めてしまいました。とにかく合体超合金ロボ系に屈強すぎて「生来病弱で…」とか「歯がもう二三本しかありません」といわれても全く説得力がない上に、次の瞬間ではもりもり飯食ってるとか突っ込みどころが多すぎて失笑する暇もないほど。おまけに頭の形からいって坊主頭が似合わないんだな。プライドでの津川雅彦を「東條英機ベストアクター」とするのならば、永久不変のワーストはおそらくこの人。なにせ徹頭徹尾、絞首刑にあっても即座に息を吹き返しその辺の米兵5、60人ぶち殺して脱出しそうな不死身さ力強さ漲る活力を全身に漂わせてるもンだから、ついつい一緒に行った人と「ネタを巣鴨番外地とかにして東條英機が脱出して皇居目指して暴れまわる話しにしたらよかったのでは?*4」等話した次第。いやいや愚か者の視点で考えているから理解できないのだろう。きっとこれほどまでのミスキャストにはなにか深遠なる意図が隠されているに違いない。もしかしたら監督はこのようなキャストを用いることで東條英機の持つ二面性を表現したかったのかもしれない。「自殺なぞしません」といいつつすでに自殺に失敗している東條、頑健な体を誇るように「虚弱でして…」と呟く東條、忠狂と呼ばれつつも結局のところ天皇陛下を利用することを毛ほども恐れなかった東條の二面性がこれほど見事にかつ直裁に表現された例を私は知らない。水島監督の慧眼、恐るべしである。そういう風に無理矢理納得してみるとなんだか3時間弱も損じゃなかった気がしてくるから不思議だ。きっと明日の私は映画を見る前よりもずっと我慢強くなっていると思う。あのときあれだけ我慢したんだから、とこれからどんなクソ映画を見てもキープスマイリングができそうですよ。ありがとう!水島社長!ありがとう藤巻潤!ありがとうチャンネル桜!
まあなんですよ、広田弘毅演ずる寺田農の「オトナの事情により引き受けました」的な全方向に醒めた表情を唯一の収穫として、結論をテキトーに述べるならば「南京の真実」は「南京の損実」に名前を変えたほうがよい、ということでした。チャンチャン。(一部敬称略)
※ちなみに今回の試写会は「カンパとして一人1000円払って下されば幸甚です」とのことだったので強制されたらどうやって言い逃れるかグダグダ考えていったのだが、特にそういうこともなかったので無事タダミでございました。本編終了し、スタッフロールがながれた後、製作委員会賛同者や協賛者や製作資金をある程度募金した方たちの名前(下記画像参照。)*5とともに、御年90歳以上の元日本兵たちが口々に「虐殺なんてしてないに決まってるじゃんナニソレ?」的な証言をするシーンがでてくる。個人的にこっちが見たかったので、本編は巨大な刺身のツマに思えた。(または衣ばっかりで中身のエビがちっともでてこない天ぷらとか)第二部は是非とも東中野先生をはじめ藤岡信勝センセや渡辺昇一センセイといった正論オールスターズがMMRとともに「な、なんだってー」を連発しながら南京大虐殺の真実を暴くために東奔西走大活躍するドキュメントを制作して欲しいと切に願っている。
*1:実際のところこういう言い方には当てはまらないのだが他に言いようがないのでご勘弁を
*2:水島監督はこの映像を持って「南京大虐殺はなかった」と主張する。プロパガンダに対抗するのにプロパガンダをもってきてどうする。毒をもって毒を制するか?ちなみにここに例の映画「靖国」でも使われた“日本兵が軍刀もっている”シーンがでてくる
*3:とは個人的には思えるものではなかった
*4:彼を追うのは異星人トミー・リー・ジョーンズ演ずる石原莞爾でどうよ?なんにせよ賛否はともかくこちらの映画のほうが話題作の上一般公開も可能でありいろんな意味で収益が確保できそうとは思う。特別試写会で全国回るなんて羽目にはならなそうだ
*5:藤岡信勝センセイや我らが花岡信昭氏の名前もあるのでどうやらケッコウな額の資金提供したようだ。製作委員会賛同者にも名前を載せているにも関わらず。そうなると協賛者の中に名前が載っていなかった東中野先生や櫻井よしこタソ、クライン孝子氏などは資金提供してないということなのだろうか。情報戦に対する気構えが足りんのう。それにしてもK-1ってなんだ?特別協賛者の中には在カンボジア王国という名前もあった。なぞ多し。