思う。(東中野氏の栄光と凋落)

南京事件について「なかった派」(まぼろし派のほうがいいかも)の意見を聞いていると、当時の実情を考慮せず、勝手な自分の思い込みを開陳しているケースが多いように思える。まあその際たるものが東中野修道氏の「偽造写真検証」なわけだが。

でもって東中野修道氏関連の動画が次々に削除されているという。YouTubeにも亜細亜大から削除要請がきた。ここまでくると亜細亜大からの放逐の予感が濃厚に漂うのだが、亜細亜大だけではなく、まぼろし派も「汚点」東中野氏を切り捨てる動きが強くなるだろう。日本「南京」学会も終わりそうだし。ここまで見事な凋落っぷりを見ていると、誤解を恐れずに言えば、正直、気の毒、という気すらする。

なんていうか、デムパにはデムパの居場所というか場というか力量というかそういうものがあり、なんかの拍子にこのようにうっかり誰かの意図と合致して「しまった」がために、祭り上げられもてはやされ一躍「寵児」となるが、「栄光」は長く続かず結局はそのデムパであるがゆえに、最後はまっさかさまとなる。もし彼が、このような取り上げられ方をしなければ、せいぜいがその「主張」を自費出版して、親類近所に配り、あああそこのご主人、ちょっとねえ…みたいなぬるい視線を送られるぐらいが関の山だっただろうになどと考えると、ちと例えが大げさである(上にボウイファンからお叱りお怒りをいただくと十分承知する)が、ジギー・スターダストの「ライズ・アンド・フォール」を体現しているようだ。一介の市井デムパ論者から非常勤講師、大学教授にまで「ライズ」したのはいいが、やはりデムパの宿命、落ちるのも早い。野に置けば誰も手を出す人もなく、バカが勝手にデムパなこと言ってる、それだけですんだのにな。東中野センセイ、いやまぼろし派がこの先生きのこるには。