「戦後日本、迷い惑いてどこへいく?」2008年8月15日靖国神社参拝記(1)

かなり遅くなってしまった。
こうなったのは、アレなところから抗議が来たわけでも、新しい風が吹いたり吹かなかったりするところが文句つけてきたわけでもなく、ひとえに私の「こころのもんだい」であり、それ以上でもそれ以下でもない。
周回遅れ、出し遅れの証文もいいとこだが、週刊朝日の何処見てんだかわからんルポよりも、あの日なにが起きたかには忠実であると思ったり思わなかったり。

◆朝9時から10:30頃にかけて

パラパラと頭の上で響くヘリの音で目が覚めた。

朝8時に出発しようと思っていたのだが既に10時近い。大慌てで支度をし、家を飛び出る。タクシーを捕まえてなんとか国民集会には間に合わせることが出来た。
なぜ寝坊したのか考えてみると、家の周辺がうるさくなかったことを思い出した。つまり去年までは靖国からかなり距離がある我が家の方にまで街宣車がジャンジャンジャガイモサツマイモと威勢のいい騒音とともにやってきていやおうなく目が覚めたのだが、今年はそうではなかった。参拝客は少ないかもな、とふと思った。

タクシーの運ちゃんは靖国神社自体知らないようだ。あれこれ道を指示してようやく理解してもらう。カーナビが常備してあったので、地方から来たまだ新人サンなのかもしれない。今日はあのあたり流していたら儲かりますかねえと尋ねられたので、いやあ街宣車と機動隊がぶつかるからむしろ交通規制に巻き込まれますよ、といっておく。それはそれでみてみたいですねえと朗らかに笑う運転手さんに、それとは別になんとなく嫌な予感がした。この感じはこの日ずっと付きまとうことになるものだった。

◆10:38に見たもの

まだ交通規制も行われておらず、大鳥居前で降りる。降りてすぐに目に付いたのは、こんな団体。


「沖縄集団自決冤罪訴訟勝利」…って、敗訴してんじゃんよ!嘘つきJAROってなんじゃろ!とか思うが、まあ「勝訴」って書いてないので虚偽とはいえないなーなどと妙に納得してしまった。売国奴大江ー!などと意気軒昂である。愚か者には理解できない世界だなと横目にみつつ、大鳥居をくぐって先にすすむ。

既にかなり暑い。今日は体力的にしんどくなると予想。人影は多くも少なくもない。去年に比べれば多少少ないくらいである。

◆10:41頃


大村益次郎を越えていくと国民集会がひらかれているため、かなり道幅が狭くなり、さらに立ち止まってちょうど流れている終戦の詔をきいている人もいるため、歩行が困難である。先にすすむのを諦め、少し国民集会の模様を聞いてみる。「たえがたきを、たえ、しのびがたきを、しの」んだ後は、英霊にこたえる会会長の挨拶が続く。「福田首相はなぜ参拝しないのか、これは政治と宗教という話ではないのだ」などと語る。そのたびに盛んに拍手が起こり、今日は元気だななどと思う。(しかしこれはまだ前哨戦に過ぎなかった。本当の山場はもっとあとであった)来賓席に有村議員と石平氏の姿が見えた。

とりあえず毎年同じようなことしかいってないので、ああまたかとその場を離れる。参拝に向かう。またあとでよろう。

■11時頃、茶屋の前では


茶屋にはいつものとおり三線弾くおじさんと、それから軍歌を歌うおじさんがセットになっていた。去年まではシンガポールのマスコミなんかをみかけたものだが、今年はみない。NHKだのが街頭インタビューをしている。今まで一度もきかれたことがないので、いつの日かマイクを向けられてみたいものだ、と思う。

◆11時頃、取材される側


手水を使っていると皇軍のぼりをもった人たちが。いっせいにカメラ小僧(じじい含む。以下カメコと略す)が群がりよっていっせいにシャッターを押している。時々思うんだが、私のようにネタにする以外彼らを写真に収める必要があるんだろうか。白人系外国人が混じっている。またすごいかぶりつきで撮るから非常に目立つ。オー!ニッポン!ヤマトダマシイネ!とかそんな感じなんだろうか。

いろいろな疑問を抱きつつ拝殿や向かう。

◆11:04の拝殿風景


列はそんなに伸びておらず、すぐに参拝できそうだった。最後尾につき、ゆっくりと前にしたがって歩きながら、参拝を終えたひとをちらちらとみていると、金髪の長州ヘアに白いスーツな恰幅の良い一団や参道脇にのっそりと立っている編み笠姿の坊さんなんかが目にとまる。そしてバックには靖国神社の白い鳩のいわれと寄付を求めるアナウンス。相変わらず混沌としている。列はゆっくりと途切れることなく進んでいたのだが、中門鳥居まできたところでピタっと止まる。それからしばらくして前方から若い声で「海ゆかば」が流れてくる。あまりのへたくそさに失笑すら漏れない。そして天皇陛下万歳などと儀式は続く。容赦なく振り下ろされる太陽光線に晒されている身としてはたまらない。延々と続くので早く終われとしか思わない。それにしてもいやおうなく聞かされる聞いている人もいるのだから、もうちょっと練習ぐらいはしろ。

ようやく終わり、列がすすむ。

参拝を終え、後進に譲る。私の横にいたおばあさんは、まだ10代とおぼしき孫?に険しい顔で「おばあちゃん、早く!」とまだ手を合わせてなにかを呟いているのに腕をとられ、せきたてられていた。「あと○○にいかなくちゃ」(○○は失念)と私の後ろをすりぬきざまにそんなことをいっていた。こういった参拝客のぞんざいさが妙に目につく。

以前はこの拝殿の左右にびっしりとマスコミがいたのに、今は後方に撮影団がいるだけだ。閣僚や議員の参拝が終わった今、「8/15の靖国の風景」を映し出すことにそんなに意味を見出さないのかもしれないが。いつの間にか参拝客の列は、私が並んだときよりもずっと長く、神門に届くか届かないかぐらいになっていた。

国士舘の幟をもって並んでいる人を発見する。

◆11:30、コスプレイヤー降臨す。



神門をでると、日本海軍士官の白い制服を着たコスプレイヤーを発見する。活動時間がきたのだろうか。第二鳥居に向かって右側の大きな石灯籠付近がなぜか近年コスプレイヤーのたまり場になっているのだが、そちらをみればもう既にアナタ、黒山の人だかり(←死語)となっており、今年もコスプレイヤーの集合場所兼休憩所となっている。コスプレイヤーの一挙手一投足まで逃さず舐めるように密着するカメコの年齢層が(ガイジンも日本人も)異常に高いのはなぜだ!?那須戦争博物館の館長は今年もお元気そうです。


この日は詰襟姿の少年もいたりして、コスプレイヤーの年齢層は多彩になってきているが、相変わらず女性は少ない。(もんぺ姿の一人しかみかけなかった。あんまり人の容姿についてアレコレいえる筋合いでもないのだが、藤子不二雄の漫画に登場したら容赦ないあだ名をつけられそうな感じ)まあいつも思うことだが、なんていうか、みんなエリートの格好するのが好きだよなあ。まあ初年兵の格好なんてあんまり格好良くないといえばそうだけど。などと呆然と光景に魂を奪われている私だがカメラじじいどもは元気だ。乃木大将ー!こっち!こっちも!などとあちこちから声がかかるため、俺、死んじゃうYO!とさすがの館長も悲鳴を上げる。大事にしてやれよ。でまあこういうカメラじじいは一切空間把握能力がないので、後ろで誰がなにをやっているかなどと気にも留めない。私が見ていると平気で前に割り込みカメラでガツガツやり始める。つーかなんであんたらそんなに撮りたいんよ?という疑問が激しく胸をよぎる。だがそんなことと暑さは無関係に私の体力を奪っていく。飲料水を用意してなかったので、いったん外へ出て飲み物を買いに行く。(境内で購入するには、国民集会後ではないと無理だろうと判断)

◆12時、外からでてまことに

近くのampmでテキトウに買っていると、後から後からスーツ姿の男性ばかり飲料水を購入していく。みんな大変だな。外へでると、有村議員の「首相の靖国参拝を目指してぇーみんなでがんばりましょー」という声が朗々と響いてきた。はとバスツアーのような幟をもったおねえさんに引率されて、高齢者が「静岡○○」と書かれたバスに乗り込んでいく。あの境内の「騒ぎ」とはまったく無関係な顔をして、まるで大村益次郎像から第二鳥居までの間がすっぽり抜けているかのように、靖国の現状は直視されないままで。

石鳥居付近から境内に入る。国民集会へ再びむかう。ちなみに今回の主賓はみな参議院議員である。なるほど、次の選挙での苦戦が報じられた稲田議員なんてお盆にこんなとこへ来てる場合じゃないんでしょうねえ。石平氏の演説にそりゃもう皆さん大熱狂ですよ。「私は本来ここにいるべき人間はないかもしれませんが、英霊に学んでいるのです。中国共産党民主化をして〜」などとアジっている。観客はそうだ!そうだ!と「ニッポンジンのいうことを聞いてダイベンしてくれる支那人」に対して拍手喝采である。怒号のような拍手の中、私はただセミの声を聞いていた。「中国共産党を倒さなければ」私にはそういう風に聞こえた。「中国は靖国に口を出すな」という主張はまだいい。まだ「理解」は出来る。だが中国共産党打倒と叫ぶことと「英霊」の間には何も接点がないではないか。ましてや今日という日になぜそれをしなければならないのか。聞き違いかもしれない。むしろそのほうがいい。そうでなければ、英霊はどれほど利用され蔑ろにされれば安寧が訪れるのだろうか。8月15日、日本が敗戦した日に靖国神社で中国を倒せ倒せとわきかえることの愚を一番わかっているのは、もしかしたら「彼ら」なのかもしれない。

ふと我に返って、本日のプログラムか資料かなにかをもらおうと(プログラムマニアなんです)、署名して「第22回戦没者追悼中央国民集会」という茶封筒をもらう。

品のよさそうな熟年世代の女性から「この中に“日本の息吹”という日本会議でだしている小冊子をいれておきますので、もし読んでよかったら3800円払うと購読できますので宜しくお願いします」と微笑まれた。この「日本の息吹」が実にトンデモない代物だったのがそれは後述する。

黙祷の時間が来る。

蝉の声だけが響いている。あの夏から63年経った。汗がふつふつとわきあがり、拭いているハンカチから滴り落ちそうなほどだ。毎年、ここで歩いていると、あまりに汗をかくので手洗いに行く必要がないほどだが、たぶん今日もそうだろう。8/15はいつもいつも酷く暑い。それは「あの夏を忘れないでくれ」という英霊の呼びかけかもしれない。私はなぜか知らないが心の中でわびていた。傲慢だとは思ったが、謝らずにはいられなかった。すみません、いま、日本はこんな国です。

黙祷の後は今上天皇陛下のお言葉が「中継」で流される。このことの意味は問われないまま、観客は聞き入っている。ここまで見届けて、一度、ここからはなれることにした。頭がはっきりせず、ふらふらしてきた。

◆12:20頃、いったん転進す。


市ヶ谷あたりで飯を食おうと、九段下にむかう。坂の途中でゼリ幸こと新風代表せと弘幸氏が署名集めを行っているのを見かけた。後から思えばなにか声をかけたり、ゼリーくださいとかチャレンジャー精神を発動させるべきだと思ったが、当時はなにしろ既にふらふらしているようなアリサマなのでそんな余裕はなく差し出される法輪講の新聞を無造作に受け取りながらひたすら駅を目指して歩くので精一杯だった。実に惜しいことでありました。

市ヶ谷の九竜飯店というところで冷やしチャーシューメンを食べる。これはなんだか知らないが暴力的な美味さをもつラーメンで、一度食べてしまうと時折猛烈に食べたくなるという困った特徴がある。おまけに空腹披露困憊でありついたものだから、乳粥を食したときの釈迦の気持ちが少しわかったような気にすらなった。