沖縄ドキュメント映画な一日。「沖縄 祖国への道」「沖縄の声」「石のうた」
ポレポレ東中野で仲里効プロデュースによる「オキナワ、イメージの縁(エッジ)」と題した沖縄映画特集をやっていたため、この連休中は久しぶりの映画三昧だった。だが、「天皇伝説」を見た後風邪にやられた人間としてはタイトな上映スケジュールには少々難があり、結局熱がでたりした。一日に5本なんてみなきゃよかったと思いつつも、見る価値のある映画だったので後悔はしてない。
10/31から11/3までに見た映画は以下の通り。
「天皇伝説」「激突死」「それぞれの15年」(以上二作品はテレビ番組)」「それは島」「沖縄 祖国への道」「沖縄の声」「石のうた」「沖縄列島」「モトシンカカランヌー」。
このうち面白かったのは「天皇伝説」「沖縄 祖国への道」「沖縄の声」「石のうた」「モトシンカカランヌー」。「それは島」も興味深いが面白いとまではいかなかった。あとは突っ込み不足がひたすら惜しい感じ。
面白かった作品のほとんどがプロパガンダ映画だったのも興味深い。(天皇伝説も「一応」それに含まれると思う)基本的にはどれも編集や撮り方がうまく、近年のプロパガンダ映画の劣化オナニーっぷりを見るにつけ、昔は芳醇だったなあと悲しみに浸るわけである。まあそんな俺ちゃんの特殊感傷はどうでもいいので、以下ざっとご紹介。
◆「沖縄 祖国への道」「沖縄の声」
「沖縄 祖国への道」「沖縄の声」は「南方同胞援護会」という自民党系?な団体(この団体はのちには北方領土返還問題にも手をだしたりしている。現在は解散)が毎日新聞社と作った「文部省選定」作品。どちらも冒頭がおどろおどろしく(シーサーはなにに怒っているのか!「沖縄祖国への道」、海は荒れている!「沖縄の声」とか)沖縄の街並み、基地!、しいたげられる農民、基地!、みんな日の丸大好き!(日の丸を掲げていい日にはみんな門口に掲揚するYO!)、初の主席公選とその選挙の模様(+日の丸の鉢巻したり日の丸振り回したりと日の丸大盤振る舞い映像つき)、基地!と続き、最後は小学生の群像で終わるというパターンで、同じシーンの流用と思われる箇所も散見された。顔アップや短いカットを重ねたりとプロパガンダ映画でみられる手法も多用。
論調は本土復帰すれば米軍基地が撤退する!みたいなことを匂わせるけど、なんつーかもうこの頃は米軍基地は現状維持、自衛隊も駐屯って言うのは規定路線だったわけで、それを中央政府が知らないわけがなく、空々しいなと苦笑しながら見ておりました。また基地!金網!といったシーンで重苦しいドジャーン!って曲を流したり、アメリカ人とのハーフと思われる高校生の少女に「アメリカは嫌いです」と言わせたり、特に「沖縄の声」の最後で小学女児に自ら書いた作文を音読させ「早く日本人になりたいです早く日本人になりたいです早く日本人になりたいです…」とエコーを聞かせたリフレインで〆るあたりに「プロパガンダ」の面目躍如といった感がある。
◆「石のうた」
対する「石のうた」は製作協力に「日本社会党」となっていることから左翼系映画であることがわかる。資金があまり潤沢ではなかったのか、先の「沖縄 祖国への〜」がカラー作品だったのに比べ、こちらは白黒。フィルムの痛みが目立つが、鑑賞に支障が生じるほどではない。
冒頭から阿波根昌鴻氏の苦渋に満ちた顔のアップが登場し、伊江島の土地接収問題から入っていく。米軍の傲慢暴虐ぶりを詳細に語り、また、畑に落とされた爆弾を撤去する作業中に「カタワになったり死んだ」伊江島の農民を映し出し、阿波根氏に「アメリカは犬や猫並みだと思って接するようにしている」等と語らせるなど、全体的なつくりとしては、先ほどの二作品よりはもっと直裁に遠慮なくヤンキーゴーホーム路線を徹底させている。「米軍基地は人殺しの魔窟」「アメリカ政府は海に漂う破れた草履だ、あとは腐り果てるだけ」といったステキフレーズが終盤に連発。(いやまあそうだけどさ、そこまで大々的に断言するのは潔いといえば潔いが…)ラストはルートヴィヒの交響曲第九番・第4楽章(「時計じかけのオレンジのラストと同じ)が壮烈に響く中、波間に漂う漁船に日の丸とともに掲げられた社会党旗?なのかわからんが赤地に文字が入った旗(イッツ・ア・アカハタ!)が、大漁旗みたいにはためていて終わる。気分はウラー!、君も私も叫ぼうウラー!大きな声でカクメイカー!この手のプロパガンダ映画、本当にたまりませんな。
計三本はそれぞれ30分ほどの長さなのだが、あまりの濃密さにこれだけでもうお腹いっぱい。だがこのテのプロパガンダ映画にありがちな主張だけ並べ立てて単調さに退屈する、ということはない。大声で怒鳴っている感はあるが、それなりに見せる工夫はされている。「南京の真実」(アメリカでの上映が決まったそうですね)なんかと比べるとやっぱり編集って大事と実感。「沖縄 祖国への道」と「沖縄の声」には復帰前の沖縄の風景がたくさん収められていて(あーイイ感じだなーと思っていると金網!基地!ドジャーンとなってウンザリしたが)それもよかった。
いずれの作品も本土と沖縄の関係性を「母と子」に例えているのも興味深い。(特に顕著なのが「抱き取ろう、母国へ沖縄・小笠原」を標語にしていた「南方同胞援護会」が作成した二作品であるが。必ず子供が登場するのもそのメタファーだろう)「石のうた」ではそこまで「子視線」が顕著ではなく、相思相愛で引き離された「恋人」(これも今日的視線で見れば十分に皮肉ではあるが)という視点もだしてはいる。復帰運動から40年以上たつと当時どのような思いで双方が隔てられながら見つめていたのかが、記憶の向こうに追いやられてしまいがちである。そういう意味では、復帰運動を「歴史的事実」ではない形でとらえることができるこの三作品は非常に貴重であるといえよう。