黒人差別の歴史も知らないで新聞記者と名乗る愚

阿比留記者のブログ記事に驚くのはよくあることだが、この程度の智識もないのかと今日は久しぶりに「驚愕」した。(以下阿比留記者のブログより引用。強調は筆者)


http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/784126

オバマ氏を安易に「黒人」と表記することへの違和感

 無知をさらすようですが、ずっと疑問に思っていることがあります。それは、「黒人」という表記についてです。

 昨日の夕刊(東京版)を見ると、読売、日経、毎日、東京が米大統領選に当選したオバマ氏について「初の黒人」と書いていおり、今朝の産経も同じです。朝日だけは「初のアフリカ系(黒人)」と違う書き方をしていますが、黒人って何なのでしょうか。

 オバマ氏はいわゆる白人の米国人の母と、いわゆる黒人であるケニアからの留学生の父との間に生まれたわけですね。とすると、白人と黒人の血を等しく引いているわけですね。どっちも半分半分です。そうであれば、オバマ氏は白人でもあり、黒人でもあり、あるいはどちらでもないというのが本当ではないかという気がするのです。

 そのオバマ氏を黒人と呼び、白人とは呼ばないのはなぜなのでしょうか。これは、白い人と、白くない人をどうしても区別したいという「白人」の発想、純血主義の反映、名残に過ぎないような気がしてなりません。もしそうだとすると、有色人種である日本人がことさら黒人という言葉を強調するのはいかがなものかと。私が何か勘違いしているだけならいいのですが。

 かつて、パウエル氏が米国務長官に就任したときにも感じたことですが、オバマ氏の肌の色はそりゃおおまかに言えば黒っぽいにしても、純粋なアフリカ系民族の黒さとは明らかに異なります。髪の毛はともかく、顔の造作そのものは、ヨーロッパ系にも見えます。難癖かも知れませんが、だったらことさらアフリカ系と言わず、「ヨーロッパ系のオバマ氏は…」と言ったっていいじゃないかと。

 白人とそれ以外を区別するならば、非白人ともいえるのかもしれませんが、それを黒人と言い切ることに違和感を覚えるのです。いや、そもそも、半分は白人の血を引いている人を非白人とすること自体に何か違うものを感じるのです。

 確かに米国の歴史を考えると、かつてアフリカ大陸から奴隷として連れてこられ、近年まで公民権も与えられなかったアフリカ系人種の血を引く人物が大統領に選ばれたことはまさに画期的であり、とても素晴らしいことだと思います。その意味で今回、人種について触れるのは当然ですし、また必然性もあるのはよく分かります。

 ただ、アフリカ系の血を引くというだけで、機械的に「黒人」と位置づけ、表記することには抵抗があります。仮にオバマ氏が白人と結婚して子供が生まれたとして、その子はやはり黒人と呼ばれるのか。それとも違うのか。外見上、肌の色が薄かったら白人と呼ばれるのか…。

 小学校の低学年のときだったか、自分たち日本人は黄色人種といわれるのだと知り、自分の手を見て「黄色じゃない、これは肌色だ」と疑問に思った瞬間が忘れられません。長じて、まあ黄色っぽく見えないこともないかなと感じる場面もありましたが、本当はいまでも東洋人=イエローという区分けは、西欧人が勝手にそう言ってきただけだろうという思いもあります。

 もう12年も前のことですが、元沖縄県副知事の尚弘子さんからこんな話を聞いたことがあります。彼女は昭和27年、フルブライト・プログラムの前身、ガリオア資金で米南部・ケンタッキー州のベリア大で学んだそうですが、当時、バスの前部は白人専用、後部は黒人用などと区別されていたと言います。

 彼女は仲のいい黒人のルームメイトがいたのですが、一緒にバスに乗ると、ルームメイトは後ろに座り、純粋な東洋人なのに肌が白かった尚さんは「お前は白い」と言われて前部に連れていかれ、一緒に座ることができなかったそうです。尚さんは「白人・非白人の区別も実はいいかげんなものだなと思った」という趣旨の感想を述べていました。私はこの話を聞きながら、「そんなものなのか。その程度のことがこんなに差別を生み、人々を苦しめてきたのか」と少し驚いた記憶があります。

 日本=侵略国という戦勝国がつくり、押しつけたコードが現在も日本の言論空間をがんじがらめに支配しているように、「純粋な白人とそれ以外」という、どこか白人優越思想の影響・残滓を感じさせる発想が、やはり日本の言語空間を無意識に誘導し、オバマ氏=黒人という表記につながっているのではないかと、そんな気がするのです。私の見当違い、的外れな愚考かもしれませんし、じゃあどういう表記だったらふさわしいのかというと、よく考えていないのですが。いつもの通り、あまり考えなしに書いたことですが、みなさんはどうお考えでしょうか。

あっ、ついでに愚痴を一つ。昨日、オバマ氏当選に合わせて「どうなる北朝鮮外交・拉致問題」という記事を書きたいと主張したのですが、「いらない」と却下されました。それでは、官邸担当記者が書く日本政府の受け止めと対応原稿に取り入れてもらおうと削りに削って45行ほどの原稿を渡したのですが、7行分しか反映されませんでした…。ぶつぶつ。

うん、勘違いだね、馬鹿だね、というのはアレですが、しかしまあ読めば読むほど味わい深い文章だよな。このエントリーは実は最初にmixiでUPしたのを推敲しなおしたものなのだが、そのとき頂いたコメントで「いつもの通り、あまり考えなしに書いたことですが」というところへ「いつもなんですねw」とツッコミがはいった。細部にこのような芳醇な腐臭が漂っているから隅々まで真面目に読んでいられず、つい斜め上からになってしまうも事実である。それはさておき。

とにかく一読して、この人、新聞記者なのに黒人差別の歴史も知らないの?と朝から憂鬱な気分にさせられる。まあこの程度のレベルだから産経新聞でしか記者業ができないんだろうなとおもうが、いやそれでも一時は上杉隆から「政治運動家」扱いされるほど官邸に食い込んでいたわけだから、そうやって放置してもいられない。

仮にオバマ氏が白人と結婚して子供が生まれたとして、その子はやはり黒人と呼ばれるのか。それとも違うのか。外見上、肌の色が薄かったら白人と呼ばれるのか…。

いやホント馬鹿なこと訊くねえと馬鹿馬鹿いってても埒があかないのでお答えすると、例えばマルコムXの母親は白人とのハーフ(というよりもその母親が白人に強姦されて生まれた子だった)だったため、一見すると「肌の色がちょっと濃い白人」に見えて、働き口を得ることが出来たが、「黒人」とわかるとすぐに解雇された。これは特にマルコムXの母親だけの事例ではなく、こういう人たちがたくさんいて、「黒人」からは「同胞」と見られず、かといって「白人」からは「同類」とは当然みなされない。その苦悩の歴史はググればものの3秒でわかるし、なんなら「私のように黒い夜」でも読んでみればいい。無知なのをさも「王様は裸だ」と主張する「本質を見抜く俺」みたいに思っているようなのが哀れさを誘う。呉智英気取りなのかな。呉は(まだ)教養があるが、教養に裏打ちされない「異議申し立て」はただのもの知らずの馬鹿を晒すだけというのはネトウヨを見ても明らかである。しかも今回阿比留氏は馬鹿を晒すだけではなく、「差別差別ゆーお前らの方が差別だ!」と告発するつもりだったにもかかわらず、図らずも自身の差別感情をさらけ出すことになってしまった。もうどうしたらいいのやら。

前述のmixiアップ時に、gurugurianさんから「阿比留氏は“アメリカの影”をみろ」という重要な指摘を頂いた。ジョン・カサヴェテス監督作品「アメリカの影」はそういった「黒人の血が流れていることの意味」を抉り出した作品だと思っている。「一滴の血でも混じっていれば黒人」なのだ。で、そういう「事実」(THE FACTS!)を踏まえないからトンチンカンな「ヨーロッパ系のオバマ氏と呼べ」なんて発言になるんだよ。それにしてもなぜヨーロッパ系なのか皆目不明。何かが降りたのか?顔立ちがそう見えるから○○系といっていいのならば、阿比留氏には「狂信系ですね」といいたい。そんな与太はアレだが、通常アメリカでは姓やらなにやらで「ドイツ系」だの「フランス系」だのといわれるけれども、そういうのをひっくるめて「ヨーロッパ系」だのというのならば、中国も韓国も北朝鮮インドネシアシンガポールも当然日本も全部まとめて「アジア系」と呼んでいいといいたいわけですな。うーむ阿比留記者が大アジア主義に目覚めていたとは頭山満も驚天動地で蘇るな。(寝かせておいてあげて!)さらに与太が激しくなってきたんだが、ともかく、中山発言といいタモエッセイといい、年末に向けて言いたい砲弾炸裂ノルマでもあるんだろうか。予算消化か?でも古いせいかそれともネジがゆるんでるせいか自爆しっぱなしってのが泣ける。オバマ大統領となりもう時期衆議院選挙だってんで、盛大にボカンボカンとあちこちで爆裂するんだろうな。ネトウヨの夢で膨らんだ毎朝の産経新聞にネットリとした期待と楽しみですよ。ウンザリの嵐ともいいますが。勘弁してください。

話がそれたが、ただ「肌の色」と「ワン・ドロップ・ルール」だけで「選別」され「個人」を剥奪され「ただの黒人」とみなされる。そして「黒人」だからとさまざまな抑圧や差別を受け入れるよう要求される。従わなきゃ殺せばいい、生意気なクロンボがいなくなれば世の中がよくなると殺されていった人々。そういう問答無用の理不尽さをまったく理解しておらず、本質的に「無視」しているからこそ、自ら行った差別の歴史に口を拭えるんだろうな。帰化しようが二世三世だろうが「元韓国/朝鮮人」と呼び、出自を殊更言い立て、先祖がどうだったかと暴きたてて平気なんだよな。まあこれは別に産経新聞がそのような行為を行った、というわけではございませんので一応注釈つけときます。(でもそれに類する行為はしょっちゅうやってますけどね)

なんであれ、「歴史」を踏まえて「彼ら」の側に寄り添った発言の中で「黒人」という言葉が出る限り、「安易」に表記しているわけでも、また「差別」でもないと私は思う。黄色人種であれ、他の民族であれ、誰であれ、「彼ら」が受けてきた「差別の歴史」を踏まえないでいいということはない。そしてその視線は自らと自らの民族にも向けられるべきである。日本にも「差別」の歴史があるんだよ阿比留ン。