個人的にはこういうことをいえる人はすごいと思う。

派遣村」「派遣切り」について書かれたマイミクさんの日記を読んでいたらこんなコメントがついていた。

タバコを吸いながら「満足な食事をしていない」と言っている報道を見ると、
そのタバコ辞めればもっと食べられるんじゃないのかなとは思ってしまいます。

すごいな。貧困者はひとときの安楽を得ることも許されないんだろうか。もしかしたらそのタバコは恵んでもらったものかもしれない。あるいはどうしてもどうしても吸いたくて(なけなしの金で)買ったものかもしれない。もしくは「満足に食事できてない」というのは同情を引くための(そしてより多くの援助を引き出すための)「嘘」かもしれない。いろんな可能性がある中、弱者に寄り添おうと思っていたらこんなコメントはできないだろう。困窮者は飯を買う金が0円となり、路上に臥す生活をしてから初めて「行政に声を上げろ」といいたいのか。なんだか凄まじい話だな。おい、日本の伝統はどこにいったんだよ?人情なんて言葉はどこかに消えたのかね?

琉球には「ゆいまーる」というものがあった。これはある程度の人数の人間が組となって農作業等にあたるというもので、与えられた作業を確実にこなすために相互扶助システムとして発達したものだ。もちろんこの「ゆいまーる」には「脱落者」がでないようにする相互監視システムという側面もある。だが、「助け合わなければ生きていけなかった」という大前提を忘れてはならない。今は監視システムだけが残って、扶助の精神はどこかに置き忘れられてしまったようだ。明治以降の「お仕着せ伝統」に平伏するのはみんな好きなようだけど、江戸時代の相互扶助精神に立ち戻ろうとかそういう気はないんだな。暗澹たる思いだ。なんだこの国は。

それにしてもなぜ派遣切りされた人たちを「甘えている」「ワガママだ」ときってしまうのだろうか?今回のバッシングを見ているとどうしても去年起きた「沖縄少女暴行事件」を思い出してしまう。あのときも「自己責任」といわれて少女は糾弾された。弱者をたたくことによって自分の位置や自分が「そうでない」ことを確認するなんてことは、もうやめてはいかがか。なんともとんでもない国になったものだ。哀しいがここはニッポソではなく正真正銘の「日本」なんだなァ。

ああまさかこんなことをいう日がこようとは。高度経済成長期っていい時代でしたねえ。