おまえがそれをいうか「産経抄」(こればっかり)

上坂冬子先生がご逝去された。衷心よりお悔やみ申し上げる。

別にそれを免罪符にするわけでもないが、正論メンバーズが一人減ったなあという感慨以外、私の中にはない。晩節を汚すという言葉そのままに、晩年は御用学者・作家っぷりを拝見するほかは、見るべきものがなかったわけだから。そんな「産経御用達」便利屋作家がお亡くなりになったので、産経抄も愛惜のあまりいつにもまして頭が狂ったことを述べる羽目となったようだ。

産経抄】4月19日

 最期まで「老いの一喝」に徹してきた上坂冬子さんの「歯切れの良さ」の秘密はどこにあるのだろう。その疑問を上坂さん自身が一昨年11月、大阪での「正論」懇話会で解き明かしている。「これでいいのか 日本」という文字通り「一喝」の講演だった。

 ▼上坂さんは、今の日本では迷わなければならない、結論を簡単に下しちゃ困るという部分が、あっさりと割り切られている。反対に「一刀両断」に切らなきゃいけない部分が切られていないと指摘した。そこに一番の問題がある、というのである。

 ▼例えば「戦前の日本はすべて間違っていた」など、とても簡単には言えないことなのに、そう結論づける。逆に靖国神社問題では「日本の代表がお参りするのは当然」と言えばいいのに、できない。そして北方領土問題も「一刀両断」に切るべきことなのだという。

 ▼上坂さんによれば、この問題は「単純で簡単」だ。四島がソ連に「拉致」されたのは明白だからである。日本はそっくり取り戻すことだけ考えればいい。「面積で2等分」といった姑息(こそく)な考えすら出てくる政府関係者に、ぜひとも学ばせたい「歯切れの良さ」だった。

 ▼それで思い出すのは、マーガレット・サッチャー元英国首相をめぐる話である。1982年、アルゼンチンに占領されたフォークランド諸島を取り戻すため強攻策を打ち出した。だが閣僚たちはみな消極的だ。そこでこう叫んだという。「この内閣に男は1人しかいないのか」。

 ▼たぶん危ないジョークだろう。しかし彼女もまた「一刀両断」と「迷うべきこと」との区別ができていたように思える。上坂さんを失った今、日本でそんな「仕分け」のできる人が何人いるのか、心もとない。そして限りなく寂しい。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090419/trd0904190335001-n1.htm

まあ産経にとって都合のよい二項対立構造を提示してくれる人がまたひとりいなくなってさびしいと、それ以上は何も書いてない文章だな。わら人形たたきしてなにか日本国のためになったようなツラしているのが産経クオリティですが、「戦前の日本はすべて間違っていた」なんてよっぽど教条的な化石左翼ぐらいしかいわないんじゃないでしょうか。それこそ物事には万事「いい面もあれば悪い面もある」わけで、その原理原則にのっとっていえば、戦前のいい面も評価しつつ悪いところは糾弾する、それだけでしょうに。

ところが産経をはじめとする1bit思考オンリーの国士聖戦士さまがたは、そういう「単純で簡単」な話をしているだけなのに、なぜか「戦前の日本がすべて悪いというのか!」と反論してくる。そんな話はしてねえよ。少しは発言する前にこれで自分の論点は正しいのか「迷ってみろ」といいたいわな。上坂冬子も映画靖国に対して妙な妄想を開陳するのをオノレの作家精神に照らし合わせて「迷って」から書いていればこんなヘンキョーのはてなブログでバカにされることもなかっただろうに。それはさておき。

 ▼例えば「戦前の日本はすべて間違っていた」など、とても簡単には言えないことなのに、そう結論づける。逆に靖国神社問題では「日本の代表がお参りするのは当然」と言えばいいのに、できない。そして北方領土問題も「一刀両断」に切るべきことなのだという。

私は靖国神社には「日本の代表」ならびに「日本の象徴」は参拝(ご親拝)するべきだと思っている。だけれども「日本の代表」が反省と謝罪の意思を持って参拝するのでなければ、むしろ参拝しなくてもいいとすら思っている。(「日本の象徴」についてはそんな心配はしていないし、する必要もないだろう。)あそこに祀られてる人々は加害者でもあり被害者でもあるという複雑な状況に追い込まれ亡くなった。できうることならばそんな事態は避けたかっただろう。戦争がなければ、祀られる必要もなく、苦しむ必要もなく、家族に囲まれ穏やかな最期を迎えられた方も多いだろうに。そういう思いがあるからこそ、参拝するのならば、国家の安寧と戦死された方々へのお詫びの気持ちをもって臨んでほしいのだ。あの戦争は正しかったんですよなんておためごかしは彼らも望んでいないのではないだろうか。

ところが産経は一刀両断どころかうそにうそを塗り固めるような真似をして英霊の無念さ悔しさを糊塗することばっかりしている。患部を切開せずに「日教組」だの「サヨク」だのと痛みをごまかすことばかりしていればそりゃ膿もたまるし悪化の一方である。申し訳なかったと「一刀両断」して戦後レジュームを断ち切ればいいのに。根性がねえなあ。

北方領土問題だってそうだ。近年じゃ竹島だの対馬だのとほかの危機をあおることに熱心で北方領土について紙面を埋めることもあまりない体たらくじゃないですか。おんなじことばかりいってればそりゃ歯切れもよいでしょうよ。でも実行力ゼロじゃ何の意味もない。

さて一刀両断である。そりゃ複雑な問題を一刀両断すれば快刀乱麻を断つような気持ちがしてすっきりするだろう。しかし溜飲を下げたところで何の解決にもならない。各国の利害が錯綜する外交問題においてお前の溜飲なぞ知ったことではない、ということ。込み入った外交問題を単純化して二項対立構造に落とし込み、あいつはアカだ、と指差すってアンタ、今はもう21世紀なんですから。